国民生活白書で「団塊の世代」を中心テーマとした、
中年の今後の不安と希望について分析しているが、「団塊の世代」という言葉は一体なんだろう。名付けの親は元経済企画庁長官の堺屋太一氏であるが、名前はともかくとして、その意味は1947-49年の戦後の第1次ベビーブームに生まれた人達のことを言っている。評論家は、第3者の立場から自分の評論する内容にあった分析をし、その主張にあわせて物事を定義したり仮説を立てたりするが、第1次ベビーブームに生まれた人達(当事者)は自分達を世に言う「団塊の世代」とは全く認識していない。第1、生まれた時が第1次ベビーブームであったことさえ結果論でしか知らない。周囲からいつの間にかそう言われているだけである。
ベビーブームそのものは戦争の後遺症であり、
ある意味では「団塊の世代」は戦争の被害者でもある。成長の段階で「お前達は第1次ベビーブームの世代だからそのつもりでいなさい」と言い聞かされ、特別な育て方をされたわけでもない。他の世代と同じように生きてきたのである。この頃になって「団塊の世代」と称して、さも特別の異種の世代があるような論評は心外である。各々の世代にそれぞれの歴史があり特性がある。また、各世代はそれぞれに重複して時代を生きており、時代を共有している。「団塊の世代」だけを特異だとして取り沙汰するのは馬鹿げている。ただ、同世代の人口が他の世代に比べて多いのは事実である。その事実に対しては応分の対策をしなければならないだろう。しかし、これは戦争の後遺症であり、「団塊の世代」の人達には全く関係ないし、この事実に対する責任もない。
「団塊の世代」を取り上げて、おもしろおかしく論評したものが
多く出回っているが、ひとつの世代を共通項で括るような言い方はやめてもらいたい。世代を構成する人達は一人一人が固有の歴史を背負っており、団塊の世代であっても古風な考えの人もあれば、今風の考えの人もある。世界観も人生観もそれぞれ違う。それをひとまとめに総括して断定的に論評するのはあまりにも乱暴であり納得できない。確かに、このような論評は単純化されているため読者にわかりやすく受け入れられやすいかも知れないが、個々の立場から見ると大きな誤解である。血液型で性格判断する行為にも似ている。
評論家は第3者的な立場から冷静に評論する。
評論家にとって評論の対象はあくまでも分析材料であり、おのずと当事者の観点が抜けてしまうことになる。その論評はあくまでその評論家の考えた分析結果であり、ある切り口から見た仮説に過ぎず、その主張は断定できる結論ではなく事実でもない。評論家が悪いと言っているのではない。評論とはそういうものである。受け手が評論の結果だけを鵜呑みにしてはいけない。自分なりに冷静に判断し、ひとつの参考意見として聞かなければならない。反対に、評論家としては分析は冷静であっても最終的には当事者の立場になった評論を心がける努力が必要であると思う。
何でも単純化してタイプやモデルと称してグループ化し、
ひと括りにして断定的に決めつけて定義してしまう風潮があるが、下手をすると大きな落とし穴があることを注意しなければならない。あくまでも、思考の範囲を限定し、前提条件を設けて、細部の事象は考慮外とした結果の産物である。適用を誤ると、とんでもない方向の結論を採用してしまうことになる。実際に適用するに当たっては、現実の状況に合わせて思考過程、思考の範囲、前提条件、分析等最初からやり直してタイプやモデルを案出し、これを比較・検討して結論を導かねばならない。その前に、このタイプやモデルが果たして適用できるかどうかの判断、すなはち、何が問題点で、いつまでに解決すべきかを判断する作業がある(これが最も大変で重要である)。
単にグループ分けをするだけでなく、公然とは認められないものまでも
名称をつけ定義をすると社会的に認められたものであるかのような誤解と錯覚が生じる。「暴力団」「暴走族」「サラ金」「援助交際」「テレクラ」「政治派閥」「政治献金」「総会屋」などあげればきりがない。存在しているから既成事実として認められたとして正当性を主張するのは間違いであり、善悪の判断は既成事実とは別のものである。良識に反する悪いものはいかなる場合でも悪いのである。悪いものを悪いと判断できる良識と、これを決然として是正できる勇気を持ちたい。
「高齢化社会」についても、悲観的な見方ばかりが横行しており、
「高齢者は体が不自由で働くことができず低所得で社会のお荷物」というような固定観念に縛られている感があるが、そんなことはない。高齢者でもピンからキリまでおり、年齢に関係なく元気な人、バリバリ働いている人、裕福な人も数多い。不況の世の中で消費を引っ張るのは高齢者であり、金融資産も高齢者に余裕があり、消費支出額も一人当たりに換算すると平均以上である。子育ても住宅建築も終わっている世代であり、余裕を持って仕事を選びながら働けるし、私はどちらかと言えば中年世代よりかえって裕福だと思う。
団塊の世代の定年退職が一斉に始まる2007年問題が浮上しているが、
21世紀の高度情報化社会においては情報処理業務の分野は頭脳労働が主体であり、時間に縛られる必要もなく、在宅勤務も可能で、過去の経験を生かした常識的で安全な判断のできる老人力を有効に活用できる場面は多く、情報化社会と高齢化社会はうまく共存できる気がする。「高齢者」として年齢だけでひと括りにしないで、年齢に関係なく働けるような「生涯現役社会」を目指してもらいたい。また、「高齢者」を区別するのでなく、これまで自分達と時代を共有し、かつ、長年に渡り社会に貢献してきた先輩として、また、いずれはそうなるであろう自分達の目標でもあると認識し、世代を越えた課題として考えてゆく必要がある。
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『介護問題』戦争の後遺症としての介護の問題をテーマに、現状をもう少し良く出来ないかと情報発信をしています。
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