オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

優先順位の付け方

2021年02月14日 | Weblog
今回、新型コロナウィルスのワクチン接種で、優先順位に基づいて摂取すると言う。

 素直に聞くと納得したくなるが、優先順位とは何だろう。優先順位を決めるためのパラメーターは何なのだろう。このパラメーターの決め方で優先順位は如何様にもできると言う乱暴さはさておいて、さも納得できる結果だと思い込ませる手法として「優先順位」という言葉が使われている。結局、どのパラメーターを重視し、それらにどう重み付けするかに関する主観的な意見表明でしかない。端的に言うと、一個人がどう思うかと言う意思表明と変わりはない。

様々な意見の中で右往左往して決められないのも困ったものだが、

 特定の個人や政党がすべてを独断で支配するのも、望ましくない。問題はどちらも民主主義の手続きを経ると正当化されると言うことである。それでは、民主主義とは何なのだろう。全員が参加して決定するのか、代表制による民主主義により決定するのか日本の場合は曖昧なままである。時には個人の自由の尊重を強調する主張があり、片や政府による人権を保障することを強調する主張がある。どちらに重点を置くか、どのように塩梅するかが重要なんだろう。

塩梅を考える時、その考え方が重要である。

 結局は、代表となって民主主義を推進する政治家が、その考え方を明確にして、民衆を説得できる力量が必要なんだろう。その能力がないばかりに右往左往して決められない状況が派生するのだろう。決めたことが正しいかどうかは結果論として明らかになる。結果として間違っていたら責任を取る気概がなければ、自分の意見を主張することはできない。そこに有益な議論が生じてより正解に近い対策が案出されるのである。

優先順位を決めるためには、

 数種の対策案を提示する必要がある。その対策案を分析検討して優先順位が決定し、現在時点での最も優先順位の高いものが採用案として決定される。当然ながら決定された理由も整然と説明し説得できるはずである。果たして日本国の政治にこのようなプロセスが適用されているのだろうか。私はそう思わないし、訳の解らない結論だけしか存在しないように見えてしまう。問題は結論に至る前の政策案に対して自由な議論が確保されていないことである。

たとえば、新型ウィルスワクチンの接種基準は

 高齢者の命を守るのか、若年者の命を守るのか、基礎疾患のある人の命を守るのか、であろうが、政府の案は、今命の危険に晒されている人を優先しているように見える。しかし、免疫力に関しては健常者が優れているし、免疫力を強化するのがワクチンの役目である。果たして高齢者や基礎疾患のある人に免疫力を強化して効果があるのか疑問である。また、今回のワクチンの海外での治験者は高齢者や基礎疾患のある人は除外されている。副反応についても検証結果はない。もっと言えば人種による効果の違いは分かっていない。もっと議論を尽くして、その結果を公表すべきだと思う。

ワクチンの最終目的は感染拡大を収束することである。

 そのためには、私の私見であるが、罹患する確率の高い人に優先して接種して罹患者数を減らすことに徹した方が理にかなっている気がする。重症化する可能性のある人への最初の感染は、罹患した健常者からである。罹患者数を減らせば高齢者や基礎疾患のある人へ感染する確率は低くなる。それでは、罹患者数を減らすにはどうすればいいか?罹患する可能性のある健常者を主体に接種すべきだと思う。あくまでも「罹患する可能性のある健常者」である。もっと具体的に言えば、東京都であり、緊急事態宣言の発令されている地域であり、職業上罹患する可能性の高い人達である。ここを収束させれば感染源を絶つことができる。優先順位のパラメータを間違わないようにしたい。

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