男女7歳にして席を同じゅうせず
イスラームの国では、今だに男女を隔離する考えが残っている。女の人は公の席には全く出てこないでもっぱら家の中に閉じこもっている。女の人を見るのは町中の大衆の一人としてであり、会合やパーティーの席で見ることはないし、公の席は男ばかりしかいない。当然夫婦や家族でない限り男女二人で同じ部屋に同室したり、車に同乗したりはあり得ない。
イスラームの国で会社の社長さんが女性の秘書を雇うと、
秘書特別の別部屋がいる。社長であろうと秘書と二人だけで部屋に同室はできない。車で移動する時は秘書は別の車がいる。車に同乗できない。運転手も女性でなければならない。通常は複数の女性を勤務させて受付や庶務をやらせているが、小さな会社の社長さんはおちおち女性の秘書を雇ってられない。だから普通の会社は男性ばかりがゴロゴロしていて、女性をあまり見ない。
日本では「マッサージ」と言うとちょっと桃色気分になるが、
イスラームの世界では、当然の如く男のお客さんには男の、女のお客さんには女のマッサージ師がつく。これを間違えたらとんでもない事になる。中東に居た時出張マッサージを頼んだことがあった。案内カードには2種類の電話番号がある。片方が女性専用で片方が男性専用である。しかしアラビア語で書いてあるのでよく解らない。最初の頃電話番号だけ数字に直して電話を掛けたら、電話の向こうでアラビア語で何やら大声でわめいて怒っている。どうやら間違って女性専用の電話番号に掛けたようである。次には成功したが、でっかい体のインド人が来てビックリした思い出がある。床屋も病院も祈祷所もみんな男女は別々である。
こんな話をすると「遅れてるぅ」と思うかもしれないが、
男女共学や男女平等は日本が敗戦した時に新たにアメリカから取り入れた風俗・習慣・考え方であって、それまでは「男女7歳にして席を同じゅうせず」が普通だったのである。ほんの70年ほど前は男女別学で男尊女卑の世界で今のイスラーム世界と同じであった。アメリカの言うところの男女共学や男女平等が果たして理想の考えであったかどうかは疑問でもある。
男女別学にも良さがある。
諸外国の優秀な学校はほとんどが男女別学であり、特に優秀と言われるのは男子校である。極端な話、女学生はもっぱらファッションと化粧と男の子の噂話しかしない傾向が強い。この時期男子学生は女子学生が気になって仕方ない。はっきり言って学業も手につかないほどである。そんな中で男女共学は勉学の志をくじいてしまう。特にエリートを目指すなら男女別学の方が環境的には格段に優れている。
男尊女卑にも良さがある。
男尊女卑というと聞こえは悪いが。男を立てて女は裏方で支える考え方で、男は女のために働き、女は裏で男を操縦している。これはこれで男女平等の調和がとれている。男が女の仕事を奪っているのではなく、女が男にさせていると思えば納得がゆく。そして、最終的な決は女が握っている。昔の女の人にはそんなしたたかさがあった。
私は九州人で男尊女卑の雰囲気の中で育った。
子供のころ台所をうろうろしていると「男はそんなところでうろつくな」と叱られた。台所は女の仕事場で男子禁制だったのである。男は奥の部屋で何もせず酒盛りをしていた。しかし、いったん外で仕事をする時には男の本領発揮で女を近づけさせなかった。力仕事や危険な仕事はみんな男の領分だった。
亭主関白という言葉があるが、
亭主は関白だが、妻は大臣なのである。大臣である妻の方が上で、関白である亭主をこき使っている。昔妻のことを山の神と言った。神様で怒るとこわい存在であった。いかに妻が大事にされ権限が認められていたかがわかる。そういう意味で、何かというと我が儘で横暴な態度を亭主関白というが、そうではないことを誤解であることをこの場を借りて明言する。
この頃、女性が男性に混じって肩を並べて仕事をしているのを見ると、
こんな仕事は女性はいいから男性に任せておきなさいと思ってしまう。これは男尊女卑ではなく、女性を男性が思いやっているのである。力仕事や危険な仕事は女性がやらなくても男性がやるから・・・・という紳士的な計らいなのである。そんな思いやりをすべてなくしてしまうのが現代社会だとは思いたくない。あまりにもドライで殺伐としている。
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