物流を活発にするには、停滞している物の動きを活性化してやらねばならない。
そのための登場人物は売る人と買う人そして作る人である。売る人には物を豊富に抱えている人と物をほとんど持っていない人がいる。買う人には金をいっぱい持っている人と金を持っていない人がいる。売る人が物を豊富に抱えていて、買う人が金をいっぱい持っていれば基本的に物は売れる。ものが売れれば作る人も困らない。政府は何も介入する必要はない。介入するとかえって買い控えや売り控えなどの変なことになる。
売る人に品物が豊富にあり、買う人が金を持っていない時どうすればいいか、
政府が一時的に買う人に金を貸してやればいい。しかし、これも一時的なもので、買う人には最終的に借りた金を返せる能力がなければならない。その能力とはものを作り出すことである。物やサービスを作り出す分野が活発化しその労働の報酬として買う人に金が渡らないと、単に借りた金を使い切ったらそれで終わりになってしまい、一時的な効果はあっても長期的には物流の活性化にはつながらない。政府が躍起になっていくら公的な融資をしても下痢症状の人に大量の食物を投与するようなものである。
売る人に品物がなく、買う人に金がある場合は、
政府が売る人や作る人に一時的に金を貸してやればいい。この金で物を製造でき売る人に品物がはいる。しかし、これも一時的なもので、売る人や作る人はこれを契機に自分の信用で市場から融資してもらう能力を持たなければならない。その能力を支えるのは金を持っている人(買う人)の投資である。自分の買いたい物を製造する会社に、また信用できる会社に投資することになる。この投資する分野が活発化しないと、いくら売る人に政府が金を貸しても事業は衰退することはあれ拡大し発展することはない。
売る人に品物がなく、買う人にも金がない場合は、
これは、最初から振り出しに戻って始めなければならない。政府は作る人に一時的に金を貸し、とにかく物を製造するところから始めなければならない。そして、物ができた時点で政府が一時的に物を買い取り、物流サイクルを回し始めなければならない。製造で金を得た買う人は物を買い始め、買う人がいれば売る人も作る人も徐々に規模を拡大して行くことになる。そして買う人が売る人作る人に投資をするようになる。発展途上国にプラント事業を始めるようなものである。
上記のことはただ金を回すことばかりを考えたが、
物を流通させるためには、物流の阻害となっている事項を排除すればいい。規制だとか、規則だとか、流通過程での課税だとか、売却や取得のデメリットだとかである。物を動かす度に複雑な手順を要し、種々の許認可を必要とし、余分な労力を使い、税金を取られ、しかも流通させるメリットが何もないのでは物流が活性化するはずがない。これはただ金を回すこととは別問題である。
政府が景気対策としてやっている施策は、
売る人に金を貸してなおかつ買う人に金を貸し作る人にも金を貸している。しかも、みんなに公平に分配することに主眼をおいている。部分的に対策をすると周りから突き上げられると言う判断であろうか・・・。上記の乱暴な検討でもわかるように、この対策はまるで発展途上国でプラント事業を始めるようなもので、しかもただのバラ蒔き政策では効果はあまり期待できない。金が滞留しているところを重点的に対策することが重要だと思われるが、金を貸し出すだけで滞留が解消されるのか疑問である。また、縦糸は分野別であり、横糸は階層別だろうが、果たして滞留しているのがどこなのかを政府は確実に掌握して政策を実行しているのだろうか。一般市民から見るとその考え方がよくわからない。
金を回すことはさておいて、物を回すことは制度の改善で可能である。
物流の阻害となっている事項を排除することである。これは闇雲に金をつぎ込む必要はない。はっきり言うと、政府の持っている許認可権を放棄することである。現在の政府の許認可権は国民のためのものではない。本来の許認可権は国民の経済活動を整斉円滑に実行するための秩序を乱す者に対する規制措置としての許認可権であるはずであり、これも必要最小限であることが望ましい。それなのに、現在の政府は何でもかんでも規制し、規制に対する許認可権をめったやたらに行使している。
本来は、国民の経済活動は自由であるべきはずである。
規制するなら、その必要性と意義が明確に説明できなければならない。何となく問題が起きそうだからとりあえず規制し許認可制にするというのはやめるべきである。最初の出発点が間違っている。日本の歴史の特性から来るものであろうが、まず「お上」がいて、その「お上」にお許しを受けて商売をさせていただく、ありがたやありがたや、という考えはなくすべきである。まず自由に商売をし、問題が生じたところで、それを規制しようとする「お上」と納得がいくまで議論し戦うのである。自由を行使するための権限もしっかりと行使するのである。
不必要な許認可権は害を及ぼすばかりである。
許認可権行使に伴う役得から生じる端金(現金)欲しさに、その何百倍、何千倍、何万倍もの国の予算が無駄金になっている。現金500万円を調達するのに、5億、50億、500億の予算が動くことになる。この許認可権をうまく使って要領よく立ち回り効率的に集金できる人が政治手腕のある人だという。何かおかしいのではないか。こんな判断基準で政策が決定されていたのでは、ろくな政治になるはずがない。一刻も早くこのような不必要な許認可権はなくすべきである。
不必要な許認可権は国際社会からも新規開拓事業にも閉鎖的である。
もともとが、許認可権を行使することによって生じる役得が目当てであり、この役得の生じないところに許認可されることはない。昔からの馴染みの相手にしか許認可しないのであれば、新参者や部外者は最初から排除されることになる。表立ってははっきり言わないが、実質的にはあらゆる言いがかりをつけてやんわりと断ることになる。実体がわからないまま理不尽に拒絶されるのでは拒絶される側はたまったものではない。外国から日本のやり方が不可解であると言われ、新規開拓事業が根付かない所以でもある。
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