オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

リストラ時代の人物評価

2007年09月02日 | Weblog

次第に回復しつつあるが、不景気でリストラの嵐が吹き荒れている。

 今でも新規の採用は厳しい状態にある。このような中で、人事担当者はどのような考えで業務を行っているのか興味があるが、ある人に聞いた話では、人員整理でも新規採用でも選抜の「決め手」になるのは、学歴でも、経歴でも、試験成績でも、資格の有無や経験に基づく能力でもなく、「面接」だそうだ。個人面接を30分やれば、採用不採用の区別がつくとのことだ。

どうすれば区別がつくか・・・・?
 
 それは、その人を質問責めにして、知識だけでは回答できない状況(面接者の答えに対しオウム返しに「なぜか」を概ね3回繰り返すと答えに窮する)に追い込んで、その時どのような対応をするかを観察すればいいそうだ。ある人は答えられなくて諦めてしまう。ある人はさらに知識を動員して答えようとする。ある人は自分の信念、世界観、人生観に帰結して答えようとする。もっともだめな人は諦めてしまう人。知識に頼る人は普通。自分の意見として答えられる人が合格である。

世の中の現象は解決策も答えもない「不明」が常態である。

 いろんな分野の降ってわいたような訳の解からない問題に対しよりよい方向を模索し解決に努力して行くのが通常である。きちんとした解決策(回答)が与えられるのは学校教育か、解りきった単純なことでしかない。自分で目の前の問題を分析して、自分なりの考えで問題解決する実力が求められる。そして、家庭で、学校で、社会生活でそのような自分なりの考え方がしっかりとできるようになっているかが問われるのである。

この頃の学校教育の弊害は、知識の詰め込みに終始していることである。

 知識があればマル、知識がなければバツという評価に偏っている。知識がなくても知っている知識で何とか解決しようとか、概ねの方向性を見つけようとか、この「知識」はほんとうなのか検証しようとか言う考えは切り捨てられてしまう。ほんとうに実社会で役に立つのは後者である。また、現状を分析して何が問題点でいつまでに解決すべきかを判断しようという姿勢の者も少なく、問題は与えられるものだと思っており、与えられるまでは自分で動こうともしない。

面接による人物評価のノウハウはこの盲点をついたものである。

 しかし、このノウハウを面接対策として安直に活用しようとしても、ほんとうの自分の信念、世界観、人生観を確立している人または確立しようと努力している人でないと相手を真に納得させ得る答えができないし、受け売りで答えてもメッキがはがれることとなる。(ここが人事担当者の腕の見せ所だ)

要するに、

 単なる記憶としての知識ではなく、その知識が自分の骨や肉となり人格の一部として取り込まれているかがポイントであり、常日頃から自分の感性を最大限に磨く地道な努力を怠らないことが重要となる。生まれてからこれまでの地道な努力をさておいて、安易な「傾向と対策」だけで切り抜けようとする考えは通らない。反対に、自分のこれまで生きてきたすべてをぶつけるつもりで面接に臨む心がけが重要であろう。それでだめだったらその会社に自分は合っていないのだから、こちらから辞退すべきである。学校教育の在り方、人間の生き方を戒める貴重な話題である。
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