民主主義と資本主義は日本にとって至上最高の思想だと思われている。
しかし、果たしてそうだろうかと疑問に思うこと仕切りである。民主主義にも資本主義にも利点欠点があり、利点は多いに伸ばしてゆくのに問題ないが、欠点については常に改善してゆく考え方が必要であろう。反対に欠点を改善するために利点の追求を犠牲にしてある程度ブレーキがかけられるくらいが最も調和が取れた状態だと思う。それなのに利点のみが世界を凌駕して暴走している状態にあり、その暴走を止められないし、ますますその影響力は激しくなりつつある。
社会主義でも共産主義でも独裁主義でも本来は何も問題ない。
為政者が人格者で善政を施す限りは、政治の仕組みは何でもいいし、どんな政治思想を持とうと、常に利点欠点は付きまとい、現実の施政には常に欠点を修正しながら行うのが通常だと思うし、極端な右翼や左翼でない限り調和の取れた成熟した政治は右と左の中間部分に限りなく収束してゆくし理想的にはこれらが将来的には同一の思想に統一されてゆくのが常識的で中立的な考えであろう。
日本は民主主義で、資本主義で自由主義の国であるが、
これが完全で完璧な思想ではないことを少しは考えるべきであるし、改善すべき事は積極的に変えていかねばならないし、この思想を採用し支持している側のあり方でどのようにでも変わってゆくことを肝に銘ずべきである。この思想を運用する側の裁量で結果は良くもなり悪くもなる。善用すれば良くなり、悪用すれば悪くなるのは当然のことのように思える。
民主主義と社会主義はこれまで対立してきた歴史がある。
現在、民主主義側の立場にある日本は、民主主義至上主義で、社会主義を敵視してきた過去の歴史があるが、私はこれは中立的ではなく、冷静で論理的な考えではないと常に思っている。そして、全世界の全ての国々を民主主義に統一しようとか、社会主義に統一しようと言う考え方は傲慢であり、自己中心的だと思う。民主主義も社会主義もあっていいではないか・・・。それぞれの利点欠点を補って理想の平和世界を追求すればいいだけの話である。
「自分が正しいのだからあなたもこれに従いなさい」というのは余計なお世話である。
個人と個人であれば当然の常識であるが、国家間ともなると常識が通用しないようである。大国が自分の思想圏を拡大する競争を繰り返し、その弊害としてあちこちで争いが絶えない。その犠牲となった小国は数知れない。日本もその犠牲者の一国なのではないだろうか。民主主義も社会主義の思想を取り入れるべきであり、社会主義も民主主義の思想を取り入れるべきである。お互いの利点が欠点であり欠点が利点である気がする。
資本主義も考え直す時期に来ている。
金さえ儲けられれば何をやってもいいという考え方は、世の中を悪くするばかりである。大資本を右から左へ動かすだけで不労の巨大な利益を生じる仕組みもおかしいと思う。世の中に害毒をもたらしても利益を生じれば恥も外聞もなくビジネスとして存在する現在の姿も考え直すべきである。本来は世の中をより良くするために、全世界の人々を幸福にするために貢献してゆくことが大事であって、決して金儲けが最終目的ではない。確かに持続的に事業を継続するためには採算を考える事は当然ではあるが、金儲けのための採算ではないはずである。
社会主義は万人に平等であるが、競争心を殺いでしまう。
人間は動物的な本能として競争心を持っている。競争心がより良い社会への原動力となる。競争しなくてもいい社会は何かおかしいし、働いても働かなくても同じという社会も不平等に他ならない。社会主義も修正社会主義としなければならないだろう。社会主義が廃れたのは、この反省と改善がなかったためではないかと思う。だが、万人が平等である社会は確かに理想ではある。この思想を資本主義に取り入れていけばより良い社会が実現するのではないだろうか・・・。
人間にはお互いに助け合う精神を本来持っている。
貧富の差ができれば、富む者は貧しい者に施しをし助けるのは当然の事でもある。それなのに資本主義に徹するとこの施しと救済は経済的損失以外の何者でもない。誰もやろうとしないし、やるにしても将来的な市場開拓を目論んでのことになってしまう。そうでもなければ資本投入に賛同してもらえない。そして、市場開拓に大量の資本を投入すれば、未開の社会は混乱し、本来の文化と伝統を荒廃させてしまう。富の独占を企てる不徳の輩も出てくる。
未開の地は未開のままで何も問題ない。
貧しい者は貧しいなりにしっかりと自立し、自分達の生活を確立している。そして相互に助け合う素晴らしい文化と伝統を持っている。それで何も問題ないのである。もし、未開の地を開発しようとしても、この文化と伝統を残したままで主義思想もそのままで手助けをしてやるのがあるべき姿だろうと思う。自分の主義思想まで強制して、自分と同質のものしようとするのは横暴で傲慢以外の何者でもない。未開の地の人達がより良い社会を実現するために手助けするのが本来の目的であり、手助けする側も相互に助け合う素朴な心情が発端であるに過ぎない。
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