完璧主義の人は自分なりのやり方を厳格に決めている。
豊富な成功体験と知識と経験に基づいた実績に基づくやり方を確立しているし、その一つ一つに自分なりの判断基準と評価基準や価値基準を持っている。そのために、最初からその通りにやらないと気に入らないし、早い時期に評価してダメ出しをするし、そうでない場合は無視して見なかったことにする。当然そのことに関与することはなく、傍観者の態度をとる。心の中ではいちいち異を唱えているのである。精神衛生上もよろしくないようである。
人はそれぞれに判断基準や評価基準や価値基準は違う。
完璧主義の人のこれらの基準は通常平均的なレベルよりも厳しい。厳しいからこそ完璧が可能であり、完璧を目指すからこそ厳しくなるのである。通常の平均的な人と完璧主義の人が共同作業をすると平均的な人は手出しができなくなる。平均的な人の基準を発動する場がなくなるし、やる前に完璧主義の人がやってしまうことになる。やりにくくてしょうがない。反対に平均的な人は楽をして手抜きをすることができるとも言える。
完璧主義の人は別の見方をすると効率が悪いとも言える。
無駄な労力を使い過ぎてるとも言える。もしかしたらやらなくてもいいことをやっているかも知れないし、もっと後になって適当なタイミングでやる方がいいのかもしれない。効率的にやるためにはまとめて一緒にやる方がいいに決まっている。製造業の工程を考える時完璧主義では能率が悪くてしょうがない。いかに手抜きをして労力を節約したフローを実現するかが重要である。結果に問題がなければこれも一つのやり方なのである。
以前、パソコンのハードディスクがとっても高価だった頃、
日本製のハードディスクは不良セクターが少なくて完璧に近いもので信頼性も高かったが、製造工程での歩留まりが悪かった。そのために価格が高くなるのであるが、歩留まりをよくするためにずいぶんと苦労して技術革新をしていたようである。開発費を投入すれば当然価格も高騰する。それに対して海外製のサードパーティーと呼ばれる安価なハードディスクは、完璧を目指すのではなく出来上がり分の一で、不良セクターは多少あっても除外して使えば問題ないのである。私はずいぶんと活用させてもらった
重要なのは結果であり成果である。
結果さえよければ問題ないし、この結果を積み上げれば成果はついてくるのである。完璧主義の人の弊害は結果が出るまで待ちきれないのである。常に先読みをして用心深く対処してしまう。これは現実に起こっていることに対処しているのでなく、精神的、感情的な発意から成していることなのだろう。そのことを反省する必要があるし、常にそれでよかったかの反省が必要なようである。
問題は決めつけてしまうことなんだろう。
そこの部分で余裕があれば、やり方も柔軟になり他人に対しても寛容になれるのだろう。共同作業も円滑になる。これはこうでないといけないという強迫観念は捨てた方がいいようである。特に立場が上になるほど完璧主義の弊害は大きくなる。完璧主義の上司の下で働くことは多くの苦痛を覚悟しなければならない。発せられた指示・命令通りに厳格に行動することを求められる。まるで専制政治である。
他人のやり方も認めてやらなければならない。
要は結果なのである。いくら厳格に決められた通りにやったとしても失敗するときは失敗するのであり、かえって柔軟に対応できない部分で不具合が生じる可能性もある。時の運という場合もある。だからこそ、最終的に成功して成果を上げた者に対しては称賛を浴びせなければならないし、こんなやり方もあるんだと自分の反省材料にもしなければならない。やり方は千差万別であり一つではないのである。老若男女、新人も古参も、経験の有無も、知識の差も関係なくそれぞれにやり方があるのである。
完璧主義の人は他人のあら探しがうまい。
自分の欠点は見えないが、他人の短所はよく見える。これはどなた様にも言えることであるが、完璧主義の人は特にそうである。自分が完璧だと思っているからである。考えようによっては相手のことを思っての善意からであろうが、言われた方は完璧主義者ではないのである。また、短所としての指摘が正しいのかさえ疑問でもある。見方を変えればどうでもいいことであり無用な指摘であり無視しても問題ないことでもある。そして何度も言うが問題は「結果」なのである。
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