4月2日ソロモン諸島沖で地震が発生した。
マグニチュード8.0である。地震の規模としては尋常でない。それでも4月4日現在死者は28人である。この地震が関東近辺で起こったら大変である。死者は数万人になるだろう。このことは冷静に教訓としなければならない。地震の巣の上に東京のような大都市を造ってはいけないのである。このことを根本から考え直さなければならない。
世の中ネットワーク社会である。
どこを見ても情報化の波が押し寄せていると喧伝している。それなのに、未だに物理的な首都の一極集中が解消されない。何が情報化だと思う。根本の部分は何も改善されていない。何のための情報化なのだろう。首都機能を地方に分散して日本国全土が情報化の恩恵に浴する環境を目指さなければならないと思う。
地方は過疎で土地余りである。
都心は土地が足らなくて高層ビルを次々にぶっ建てている。しかも住宅は身動きできないほど密集して人であふれかえっている。地震国日本の将来構想として大いに問題であり、少しでも改善の努力をすべきであるが、誰も言わない。たぶん、地震が発生するまで何もしないし、その時に大いに反省するのだろう。
過去に関東大震災で教訓を得ているはずである。
その繰り返しをまたやるのだろうか?都心に人口が密集するのは、未だに旧態依然としたビジネス形態が主流で、なおかつ、これを改善するための環境整備が不十分なのだろう。首都機能移転は随分前から検討されているが今だに現実化はされていない。何が阻害事項になっているのだろう。
結局は今現在のことしか考えていない。
問題先送りで今生栄華を極めて将来に目を向けていない。将来の負担を現在に負うことを拒否している。こんな考えではいつまでたっても問題点は改善しない。しかも将来に負債を抱えて次世代に申し送ろうとしている。国の借金はどうするんだろう。その借金でいい思いをしたのは現在の日本国民であり、そろそろ限界にきている。それでも将来構想は見えてこない。
情報化社会にはそれほど資本投資はいらない。
そして、インフラは既に整備しつつあり、インフラはできたがこれをどのように使うのか模索し持て余している状況である。狭い日本である。日本全土を情報化してどこででもビジネスができる環境と風土を整えればいいと思う。地方の余っている土地は現在では大いなる財産である。いつまで高度経済成長期の集団就職による影響を引きずっているんだろう。
昔、元総理大臣の故田中角栄氏が日本列島改造論をぶち上げた。
これは、物理的な改造論であり、弊害もあったが、それなりに目的を達成した。しかし、その物理的なインフラも地方では持て余している。鉄道や道路を造っても運ぶものがないし、箱物を造っても活用できない。結局は旧態依然とした一極集中が続いているからである。せっかく造った物理的なインフラも使わないで腐りつつあり、無用の長物に成り下がっている。
宇宙の根源をなすものは精神(purusa)と物質(prakrti)だと言う。
物質的な列島改造が一段落したら精神的な列島改造が必要である。物質がハードウェアとすれば、精神はソフトウェアである。ソフトウェアの部分に欠陥がありその整備充実の必要性が増大しているのが現在の日本であろう。人間社会においても経済社会においても同じことが言える。そして文明・文化そのものが空疎になりつつあり歪みが増大している。
これからは、情報化の列島改造論をぶち上げなければならない。
物理的なインフラを腐らせることなく大いに活用できるネットワークを日本全土に構成するのである。物流のネットワークと情報のネットワークが有機的に結合すれば日本はもっと経済成長するし、日本全土がITを駆使した健全で強靭な先進都市に変貌する。狭い日本だからこそ可能なことである。ぜひ実現したいものである。
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