衆院解散選挙がほぼ確定した。
すでに政務をほったらかして選挙活動にシフトしている議員さんがたくさんいるようだ。まずは議員であることが最重要であり死活問題だと言い切った人もいる。選挙で当選するためにはなりふり構わないということらしい。私はそんな人間が議員になることに大いに疑問を持つし、そのような人が当選する日本国の体制と国民の意識に失望する。そんな人は当選させてはいけないのである。そのためにはどうするかと言うと、その人の実績で評価することである。実績で評価するのでなく、将来への意気込みと期待感だけで、もっと言えば風貌と好感度と世間の評判と人気だけで選挙してはいけないのである。そんな1票を投票することはかえって日本の国の将来を危うくさせるだけである。
期待感だけを売りものにする議員は初めから評価は半分である。
期待と実績で全人的な評価が可能である。生まれたての赤ちゃんではあるまいし、将来性は無限だが実績は皆無である。かえって実績によるマイナス評価がない分有利になってしまう。その辺を加味してまずは個人の知識と能力と人格などを吟味して、これまでの経歴をつぶさに観察して、果たして日本国のためにどんな役割を果たしどんな努力をしてきたのかを見極めるべきである。たとえ議員としての実績がないとしても、あらゆる方面で活躍してきた人のはずである。そしてその実績が果たして議員としてふさわしいかも考慮すべきである。いや、これまでの実績が議員以上の活躍を期待できるような人物を発掘すべきなのである。本当はそのような情報資料が十分に提供される環境が必要なんだろうが、心もとないばかりである。
それでも、実績と期待を全人的に評価する努力を惜しんではならないと思う。
少なくとも、その姿勢があればいい加減な選択はなくなると思う。どうでもいいような判断による評価は選挙の精度を悪くするだけである。まずは、国民の代表を選択するという見地から自分で判断を下すことが重要だと思う。直観でもいい好感度でもいい単なる風貌だけでもいい。その判断は自らの人生で培われた経験によるものであり、あながち間違いではないだろう。そして、その判断はたぶん、実績と期待の両方を加味したものになるであろう。この判断が、世間の評判や人気に流されたり、興味本位でなされたものでは、選挙そのものの精度がおかしくなるし、そんな判断ばかりになると、本末転倒の選挙になってしまう。
できれば、その候補者に関する選挙情報に基づいて判断してもらいたい。
選挙情報は不十分かもしれないが、それしかない。私的にはネットワークを利用して自由に選挙情報を発信してもいいと思っているが、新世代と旧世代の不平等感もあるのだろうが、未だに実現しているとは思えない。また、ネットワークを利用することのプラスとマイナスもあるので、正当な情報が提供される環境とある程度の統制は必要なのだろう。少なくても公式のサイトからの情報提供は信用できるであろう。公式サイトで中傷合戦や偽情報が氾濫するようであれば、公式サイトを運営する母体そのものが胡散臭い。情報源を明確にして信頼性を確認した後に情報を入手する努力をすべきで、それは選挙情報に限ったことではない。
新しく生まれたものは実績は皆無である。
新しく生まれたものに期待感を持つのなら、まずは少数単位から始めるべきであろう。そして、その後の実績をつぶさに観察・評価して次への対応を考えるべきであろう。直ちにすべてが新しいものにすり替わってしまうのは常識的に考えておかしいし、これまでの実績を維持することが困難になってしまう。そして、過去の歴史において、新しく生まれたものがどのような結果となったかを冷静に認識すべきである。忘れてはならないし、これが反省材料となる。新しいものを否定するものではないが、新しいものは将来どうなるか全くわからないというのが正直なところである。だから素晴らしいのだろうが、反面、冒険と危険と不安定さを孕んでいることは肝に銘じておかなければならない。今回の衆院解散選挙において日本国民の評価がどのようになるか国民の政治的な民度が問われている。
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