9月1日は防災の日である。
あちこちで防災訓練がなされ、防災グッズとか家庭での防災対策について注意喚起がなされ、見直し検討するよう呼びかけがなされる。しかしながら、ほとんどが災害が起こった後の対策ばかりである。確かに災害が起こった時の対策も重要で、災害による人命救助、避難、二次災害防止、避難者支援などの準備に怠りないことに異論はない。しかし、防災の主体は災害そのものを防止することである。その観点が抜けているのではと毎年つくづく思うのである。死者は語らない。災害で亡くなった人はもの言わない。災害で生き残った人が大声で救援を求める。しかし、災害そのもので直接の死者を出さないようにすることが主体である気がしてならない。
防災の日であれば、防災全体について再点検する必要がある。
災害が起こっても死者を出さない、被害を最小限にする努力をすべきである。そのためには災害の起こる可能性のある地域を特定することと、その地域の住民を移住させることだと思う。たとえ、移住が困難でも、その地域の防災対策をしっかりやることだと思う。そのような対策を積み重ねてゆくことが重要だ。その部分を放置して災害が起こった時にあわてて事後対策をするのでは、災害の直接の被害を軽減することは無理であろう。事後よりも事前の対策も見直すのが防災の日に当たって必要なことだと思う。
日本では毎年のようにどこかで天災が起こっている。
洪水であり、津波であり、がけ崩れであり、地震による倒壊であり、風雨による崩壊であり、大規模火災による延焼である。いずれも危険な地域は予測できる。その予測に対して具体的な対策を講じておく必要がある。まずは、そのような地域であることを知らしめることである。できればそのような危険地域に居住することを避けることである。洪水の危険のある場所や沿岸の低地や崖の下や活断層の上や強風の地域や化学工場等の近傍などに居住していながら危険を認識していないもしくは楽観的に無視しているのでは最初から防災の意識が低いことになる。
突発的な災害はある程度仕方ないとしても、
予測できる災害に対しては日頃から具体的な対策をしておくべきである。私は自分の居住地を決める時、これら点をチェックして自宅を購入した。最悪地球温暖化で海水位が上昇しても大丈夫な場所を選んだ。東京湾沿岸の海抜ゼロメートル地帯がいかに便利であろうと住む気は全くなかった。海辺や川辺や山辺の景色は素晴らしいが、そこは災害の危険と隣り合わせなのである。地名に水や風にちなんだ文字が使われている場所も水や風の被害を受ける可能性があると聞いている。是非防災の日にちなんで、自分の住んでいる場所を見直してみるのもいいだろう。
政府には事前の災害対策に意を注いでもらいたい。
もう一度予算に計上する事業計画を見直してもらいたい。事後対策の事業だけでは片手落ちである。事前対策には確かに膨大な予算が必要だろうが、しっかりとした長期計画を策定して少しずつ前に進まなければならない。それと日本全体の開発計画を防災の観点から見直すことも必要だろう。無節操な乱開発は予期せぬ災害を招く。その許認可にも目を光らせておく必要がある。事前の対策がゼロであれば、災害に対して全く無防備であることに等しい。国民の人気取りのために事後対策のパフォーマンスをやるだけでは真の「防災」は何時まで経っても前に進まない。発災後の72時間内にどれだけ迅速に救助活動ができるかの検証と予算の充当も必要であろう。
北朝鮮のミサイル問題も同じような気がする。
北朝鮮はずっと以前から日本に対するミサイル攻撃は可能なのである。まずそのことを深く認識すべきである。大陸間弾道弾で大騒ぎしているが、日本に対しては大陸間弾道弾なんて必要ない。この報道も米国寄りで深刻に日本のことを考えているとは思えない。そして、ミサイルのことばかりが強調されるが、問題は搭載している弾頭である。まずは弾頭が破壊能力を持つのか、炸薬や核を装填しているのかである。焦点が違っているような気がする。核弾頭ばかりが話題に上がるが、通常弾頭で直接日本を攻撃することはすでに能力を保有している。騒ぎ方が違うような気がする。
ミサイルに対する危険ばかりが誇張されるが、
弾頭のないただの飛翔体であればそれ程危険ではない。落下しても局地的な被害でしかない。これが危険というならば日本上空は多数の飛翔体が飛び回っており、毎日が「Jアラート」となる。そんなわけないだろう。通常弾頭であれば、建物を破壊するくらいであるが、これにしても9.11テロの被害程度だろうと思う。旅客機でも大量の燃料を搭載しており、その爆発力は相当なものである。核弾頭であれば話は別である。広い地域にわたって被害が及びその影響が甚大である。Jアラートの訓練が各地で行われているが、いったい何を想定し、何のための訓練をしているのか理解に苦しむ。戦時中の空襲避難訓練でもあるまい。
通常ミサイルはピンポイント攻撃である。
北朝鮮の技術がどの程度精密誘導できるのかは定かでないが、広地域に影響を及ぼすことはまずない。それなのにJアラートは北海道、東北、信越の12道県に発令された。発令は迅速であった(事前に予測され?)が、発令された方は何をしていいのかわからず、何もしないうちに上空を通過していたというのが実体であろう。これでは何のためのJアラートか解らないし、いたずらに恐怖心を煽っているばかりに見える。政府は迅速に警報を出すことに躍起になっていたようだが、これまた、防災訓練と同じように片手落ちであるようだ。確かにミサイル発射から通過までは短時間であるため、着弾点を予測するのは困難で単なる緊急警報であれば広地域にならざるを得ないが、そうであればその旨を事前に公告すべきであろう。
例えば通常弾頭で国会議事堂をミサイル攻撃破壊することは十分可能である。
しかし、その確率はテロ集団の航空機乗っ取りによる自爆テロで国会議事堂が破壊されるのと同じくらい可能性は低い。しかし皆無ではない。この対策を具体的にどうするかを考えておく必要がある。対策は最小限から最大限まである。どこで調整を図るかは冷静に考えなければならない。しかし、少なくとも「ゼロ」であってはならない。机上の対応計画だけでもいい具体的な検討をしておく必要がある。まさかそんなことはないという楽観がいざという時の対策に支障をきたすし、有効に機能することは未来永劫ない。ミサイル攻撃の能力を持つことと攻撃の意志を持つことは別である。能力はある程度予想できるが、意思は相手が表明しない限り予測できない。今のところ日本に対する攻撃意思は表明していないが、意思に関係なく能力があるのなら日本としてしっかりとした対策が必要であろう。
9.11の時、米軍は具体的に行動した。
横須賀港に寄港していた軍艦を洋上に避難させたのである。考えてみれば、東京湾上空は無数の旅客機が飛び回っている。この一つがテロリストに乗っ取られる確率はゼロではない。現に米本土で危機が生じているのであれば、何らかの対応が必要である。福島原発事故の際も米国は自国民を日本から避難させた。日本政府が楽観的な声明を出そうと、それに関わらず最悪の事態に対応した。こんなことを考えると、日本人は事なかれ主義が強すぎるのではないかと思えてくる。異常な中でも正常であると思い込んで都合の悪い情報を無視あるいは過小評価してやり過ごしてしまう。防災の日を機に大いに反省すべきである。
あちこちで防災訓練がなされ、防災グッズとか家庭での防災対策について注意喚起がなされ、見直し検討するよう呼びかけがなされる。しかしながら、ほとんどが災害が起こった後の対策ばかりである。確かに災害が起こった時の対策も重要で、災害による人命救助、避難、二次災害防止、避難者支援などの準備に怠りないことに異論はない。しかし、防災の主体は災害そのものを防止することである。その観点が抜けているのではと毎年つくづく思うのである。死者は語らない。災害で亡くなった人はもの言わない。災害で生き残った人が大声で救援を求める。しかし、災害そのもので直接の死者を出さないようにすることが主体である気がしてならない。
防災の日であれば、防災全体について再点検する必要がある。
災害が起こっても死者を出さない、被害を最小限にする努力をすべきである。そのためには災害の起こる可能性のある地域を特定することと、その地域の住民を移住させることだと思う。たとえ、移住が困難でも、その地域の防災対策をしっかりやることだと思う。そのような対策を積み重ねてゆくことが重要だ。その部分を放置して災害が起こった時にあわてて事後対策をするのでは、災害の直接の被害を軽減することは無理であろう。事後よりも事前の対策も見直すのが防災の日に当たって必要なことだと思う。
日本では毎年のようにどこかで天災が起こっている。
洪水であり、津波であり、がけ崩れであり、地震による倒壊であり、風雨による崩壊であり、大規模火災による延焼である。いずれも危険な地域は予測できる。その予測に対して具体的な対策を講じておく必要がある。まずは、そのような地域であることを知らしめることである。できればそのような危険地域に居住することを避けることである。洪水の危険のある場所や沿岸の低地や崖の下や活断層の上や強風の地域や化学工場等の近傍などに居住していながら危険を認識していないもしくは楽観的に無視しているのでは最初から防災の意識が低いことになる。
突発的な災害はある程度仕方ないとしても、
予測できる災害に対しては日頃から具体的な対策をしておくべきである。私は自分の居住地を決める時、これら点をチェックして自宅を購入した。最悪地球温暖化で海水位が上昇しても大丈夫な場所を選んだ。東京湾沿岸の海抜ゼロメートル地帯がいかに便利であろうと住む気は全くなかった。海辺や川辺や山辺の景色は素晴らしいが、そこは災害の危険と隣り合わせなのである。地名に水や風にちなんだ文字が使われている場所も水や風の被害を受ける可能性があると聞いている。是非防災の日にちなんで、自分の住んでいる場所を見直してみるのもいいだろう。
政府には事前の災害対策に意を注いでもらいたい。
もう一度予算に計上する事業計画を見直してもらいたい。事後対策の事業だけでは片手落ちである。事前対策には確かに膨大な予算が必要だろうが、しっかりとした長期計画を策定して少しずつ前に進まなければならない。それと日本全体の開発計画を防災の観点から見直すことも必要だろう。無節操な乱開発は予期せぬ災害を招く。その許認可にも目を光らせておく必要がある。事前の対策がゼロであれば、災害に対して全く無防備であることに等しい。国民の人気取りのために事後対策のパフォーマンスをやるだけでは真の「防災」は何時まで経っても前に進まない。発災後の72時間内にどれだけ迅速に救助活動ができるかの検証と予算の充当も必要であろう。
北朝鮮のミサイル問題も同じような気がする。
北朝鮮はずっと以前から日本に対するミサイル攻撃は可能なのである。まずそのことを深く認識すべきである。大陸間弾道弾で大騒ぎしているが、日本に対しては大陸間弾道弾なんて必要ない。この報道も米国寄りで深刻に日本のことを考えているとは思えない。そして、ミサイルのことばかりが強調されるが、問題は搭載している弾頭である。まずは弾頭が破壊能力を持つのか、炸薬や核を装填しているのかである。焦点が違っているような気がする。核弾頭ばかりが話題に上がるが、通常弾頭で直接日本を攻撃することはすでに能力を保有している。騒ぎ方が違うような気がする。
ミサイルに対する危険ばかりが誇張されるが、
弾頭のないただの飛翔体であればそれ程危険ではない。落下しても局地的な被害でしかない。これが危険というならば日本上空は多数の飛翔体が飛び回っており、毎日が「Jアラート」となる。そんなわけないだろう。通常弾頭であれば、建物を破壊するくらいであるが、これにしても9.11テロの被害程度だろうと思う。旅客機でも大量の燃料を搭載しており、その爆発力は相当なものである。核弾頭であれば話は別である。広い地域にわたって被害が及びその影響が甚大である。Jアラートの訓練が各地で行われているが、いったい何を想定し、何のための訓練をしているのか理解に苦しむ。戦時中の空襲避難訓練でもあるまい。
通常ミサイルはピンポイント攻撃である。
北朝鮮の技術がどの程度精密誘導できるのかは定かでないが、広地域に影響を及ぼすことはまずない。それなのにJアラートは北海道、東北、信越の12道県に発令された。発令は迅速であった(事前に予測され?)が、発令された方は何をしていいのかわからず、何もしないうちに上空を通過していたというのが実体であろう。これでは何のためのJアラートか解らないし、いたずらに恐怖心を煽っているばかりに見える。政府は迅速に警報を出すことに躍起になっていたようだが、これまた、防災訓練と同じように片手落ちであるようだ。確かにミサイル発射から通過までは短時間であるため、着弾点を予測するのは困難で単なる緊急警報であれば広地域にならざるを得ないが、そうであればその旨を事前に公告すべきであろう。
例えば通常弾頭で国会議事堂をミサイル攻撃破壊することは十分可能である。
しかし、その確率はテロ集団の航空機乗っ取りによる自爆テロで国会議事堂が破壊されるのと同じくらい可能性は低い。しかし皆無ではない。この対策を具体的にどうするかを考えておく必要がある。対策は最小限から最大限まである。どこで調整を図るかは冷静に考えなければならない。しかし、少なくとも「ゼロ」であってはならない。机上の対応計画だけでもいい具体的な検討をしておく必要がある。まさかそんなことはないという楽観がいざという時の対策に支障をきたすし、有効に機能することは未来永劫ない。ミサイル攻撃の能力を持つことと攻撃の意志を持つことは別である。能力はある程度予想できるが、意思は相手が表明しない限り予測できない。今のところ日本に対する攻撃意思は表明していないが、意思に関係なく能力があるのなら日本としてしっかりとした対策が必要であろう。
9.11の時、米軍は具体的に行動した。
横須賀港に寄港していた軍艦を洋上に避難させたのである。考えてみれば、東京湾上空は無数の旅客機が飛び回っている。この一つがテロリストに乗っ取られる確率はゼロではない。現に米本土で危機が生じているのであれば、何らかの対応が必要である。福島原発事故の際も米国は自国民を日本から避難させた。日本政府が楽観的な声明を出そうと、それに関わらず最悪の事態に対応した。こんなことを考えると、日本人は事なかれ主義が強すぎるのではないかと思えてくる。異常な中でも正常であると思い込んで都合の悪い情報を無視あるいは過小評価してやり過ごしてしまう。防災の日を機に大いに反省すべきである。
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