オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

あまりに一面的な意見の弊害

2012年02月25日 | Weblog
いろいろな意見を主張するのは自由である。

 しかし、あまりに一面的な意見は欠陥に近い。例えば、増税反対という。反対は判るが、その結果、行政サービスが低下することを受け入れなければならない。確かに、行政改革によるサービス向上も可能であるが、これは行政改革がテーマであり、その内容について具体的に議論しなければならない。基本的には増税すれば行政サービスは向上するはずであり、その内容について具体的に議論するのが筋である。借金まみれの日本国の現状において、借金を返済していこうとすれば、その分の行政サービスが低下するのは仕方ないことである。その行政サービスの低下について国も明確にしないまま、新しい政策を打ち出して、さらに借金を増やそうとしている。税金の使い道を端的に考えると、現状のまま維持しつつ、何を具体的に削減してゆくかが主体であって、このような現状にもかかわらず、新たな政策(ばら撒き)を打ち出すのはどう考えてもおかしい。ごまかしにしか見えない。

税と社会保障の一体改革と言うが、

 税金は税金で、社会保障は社会保障で、分離して改革したほうが判りやすいと思う。一緒にしてしまうので、複雑怪奇で、理解しがたいものになっている。税金で社会保障したり、社会保障費を税金のような運用をしたりでは、何が何だか判らないし、個人の負担と国の負担が複雑に絡み合って、政府も国民も実体さえつかめないで迷走している。科学的手法を用いて、問題が複雑化したときは、一つ一つを分科して、一つ一つで問題解決を図るべきである。問題は分科したもの同士の相互の調和と考え方の統一がなされていないだけであり、収支決算のために、あちこちをいじくりまわす事で問題が解決するとは到底思えない。考え方なんて、常識的なものだと思うし、常識的な考え方が通用しないような政策はたとえ立派な専門家が出したものであろうと最初から間違っている。判りやすく見える化するのが喫緊の課題であろう。

どこかの偉い政治家が言ったという。

 「この橋を渡すことに一人でも反対すれば、私は橋を造りません。ただし、冬であっても泳いで渡って下さい。」と。日本国内で主張されるさまざまな意見を聞いていると、後半の部分が抜けているような気がしてならない。「原子力発電に一人でも反対すれば、私は原子力発電を一切停止します。ただし、電力の使用量を4分の1削減して下さい。」「米軍基地に一人でも反対すれば、私は米軍基地を全て国外に追放します。ただし、日本独自で国土を防衛して下さい。」「東日本大震災の瓦礫受け入れに一人でも反対すれば、私は瓦礫を受け入れません。ただし、被災地の瓦礫処理には貢献できません。」「低レベル放射線に一人でも反対すれば、私は、国の基準以上の放射性物質を全て除染します。ただし、数10兆円以上の経費を使用します。」などなどたくさんあります。いずれも後半部分が省略されて、正当な意見として報道され喧伝されています。私は、有名な政治家でもないので、後半部分をうまく表現できないが、言いたいことは、一面的な意見では冷静さと正確さを欠いて現実的でないことです。

自分達に具体的降りかかるマイナスの要因はあまり考えたくない。

 しかし、あえて考えないと、冷静な考えと判断はできないのである。非現実的な夢物語を追い求めても仕方ない。それなのにいつの間にか夢物語が膨らんでいって独り歩きを始める。独り歩きを止めるには、「ただし・・・」の部分を省略しないで考えることである。自分の考えが果たして間違っていないのか理論的に矛盾がないのかが見えてくるようだ。「増税は反対だが、行政サービスの低下もいやだ」「原子力発電に反対だが、四分の一の節電もいやだ」「米軍基地に反対だが、自分で国土を守るのもいやだ」「瓦礫の受け入れに反対だが、被災地の復興に貢献していないと言われるのはいやだ」「低レベルの放射線に反対だが、除染費用の負担はいやだ」などと言うのは、単に自己中心的な我儘に過ぎない。その我儘の部分は全部他人に押し付けることとなる。自分だけは最良の条件が満たされると思ったら大間違いであり、マイナス部分は皆で共有しなければならないし、当然プラスの部分もみんなで共有しなければならない。プラスの部分を減らして、マイナスの部分を受け入れることが現実的な意見となるようである。

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