オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

リーダーシップ

2011年05月10日 | Weblog
東日本大地震の対処でリーダーシップが執拗に要求されている。

 リーダーシップにもいろいろあるし、リーダーシップの取り方も人それぞれである。いったいどんなリーダーシップを望んでいるんだろうと反対に疑問に思えてくる。単純に言うと、右か左か真ん中かを的確に決断できるのがリーダーシップの最初だろう。そして決断したことには最後まで責任を持つのがリーダーシップでもある。その過程と成果をもって信頼を獲得できるのもリーダーシップであろう。リーダーシップに従うものは、リーダーの決断したことにはまずは従わなければならない。そしてその結果には不平を言うことはできない。リーダーを選んだのは自分達であり、リーダーに決断を委ねたのである。その後のリーダーの評価は成果に左右されるが、リーダーである限りはリーダーに徹しなければならない。

日本でリーダーシップを執拗に要求する人は、

 リーダーに全能の神の能力を要求している。そんな全能の神なんて存在するわけがない。決断した結果が純粋な正解では無い。その瞬間は正解でも次の瞬間には状況が変わっているかもしれない。だからといって決断を躊躇すると後手後手に回るし、総合力を集中できない。決断した結果に責任を持ち、何としてでもやり遂げる強固な意思が重要なのである。「決断が間違ってましたごめんなさい」ではなく、次の変化した状況の中で新たな決断をして自分の掲げた目標を追求するのである。当然、決断する時に目標を示すとともにこれを達成するための方策を示すのも重要なことである。

日本でリーダーシップを要求する人は、

 本当にリーダーシップを発揮されると、間違いなく反発する。リーダーに従うつもりはさらさらなく、ただリーダー不在を嘆いている。実際はリーダーを作り上げるのは一般大衆なのである。一般大衆がリーダーを育てて、リーダーを支援し、盛り上げるのである。どこからか忽然と天から舞い降りてくるものではさらさらない。首相にリーダーシップを求めるが、いざ首相がリーダーシップを発揮すると、猛反発する。最初から従うつもりはない。おかしなものである。冷静に考えると、東日本大地震の対策で現首相が大きな失策をしたとは思えない。そこそこに成果を残しているし、少なくともマイナスの評価ではないはずである。それなのに現首相をこき下ろす風潮が後を絶たない。特に政界においてその傾向が激しいようだ。

今回の東日本大地震は基本的には「未曾有」のものである。

 誰も経験したことがないし、決断すべき状況は歴史上にも存在しないものであり、リーダーは創造的な能力を持って決断しなければならない。通常の常識や慣習は通用しないのである。そんな中で、現政権が日本政府が果たして全く無能かと言うと、そうでもない。確かにもっと頑張って欲しいという期待はあるが、現状はそこそこにいろんな施策がなされているという気がする。そして最も勘違いしているのは、現在の窮状の原因は「地震」であり「津波」であり「原子力災害」なのであり、一義的には日本政府のせいでもないし、市町村のせいでもないし、東京電力のせいでもない。震災後の対策に不満があるかもしれないが、この対策に100点満点を取ることは難しいだろう。要は積極的な前向きの姿勢があるかどうかが問われるのだと思う。

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