「標準偏差」は悪くない。
標準偏差を悪者扱いにして、「偏差値教育は悪だ」という論議があったが、標準偏差の考え方は何も悪くない。自然界の現象を統計に取ってみるとみんな山型の標準分布曲線になる。この標準分布に基づいて出されたのが標準偏差である。山型の真ん中が平均的な集団で大部分を占める。そして裾野が高い方と低い方の個性的な集団で少数部分を占める。自然界の現象はすべてこうなるという事実に基づいて考えられたものである。
試験をすればどうやっても標準分布になるのである。
そこには優劣も善悪もない。これが優劣や善悪であるというなら、自然の摂理を変えなければならない。みんな山型の真ん中になるよう作為しなければならない。「標準偏差」が悪いのではなく、「標準偏差の使い方」が悪いのである。使い方を誤っている。標準偏差を参考にして成績管理することは何も悪いことではないし、計数的な分析・評価としてはすばらしいものである。
勘違いしてもらっていけないのは、
あくまで「成績管理」であって「人物評定」ではないし「能力評価」でもないことである。成績が悪い者がいてもいいのである。山型の真ん中が低い方にあれば教える内容が難しすぎたか教え方が悪かったと思わなければならない。山型の真ん中が高い方にあれば教える内容が優しすぎたか教え方が良かったと思わなければならない。あくまでも教える側の反省材料として活用すべきものである。
「センター試験」と称して全国共通の試験問題で学力を判定しても、
教える側の教え方のバラツキと、教えられた側の学習成果のバラツキが標準分布に現れるだけである。これをもって何をしようとしているのか不思議でたまらない。センター試験問題が果たして適正かどうかは疑問であるが、自然に任せればバラツキが出るのは当然である。バラツキをなくし、山型の真ん中に集めようとすれば、教育内容を画一化したものにしなければならない。これが文部科学省の「学習指導要領」であろうか・・・。
「偏差値」を誤った認識でとらえて
入試対策教育ばかりをやっている限り学校は文部科学省の呪縛から逃れられない。先生は自分のやりたい教育ができないし、学生にすれば何も面白くない。市販の参考書の方が解りやすいし、塾の方が解りやすく教えてくれるということで、学校は意味を失い先生は地位と役割と存在意義を失う。
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