日本が突き進んできた、
「品質の向上」や「生産性の向上」に対する「改善」は時と場合によっては「やりすぎ」をもたらす。「品質」も「生産性」も限度がある。闇雲に突っ走っても本来の需要とかけ離れたものになってしまう。品質については、生活の場で使う物であれば、そこそこの性能を果たせばいいし、芸術品や工芸品のような一流の最高級品である必要はない。最高級を目指せばきりがないし、製品価格も天井知らずになる。生産性について言えば、いくら大量に造れるノウハウを得ても、需要は限られている。それ以上造っても無駄そのものである。
じゃあどうすればいいか・・・。
品質については機能をそこそこにして不必要な部分は手抜きをするのである。「手抜き」というと聞こえが悪いが、なんでもかんでもできる高機能なモノではなく単純化するのである。単純(シンプル)なものほど機能的に優れている。何でもかんでもできるものはそれぞれの機能はそこそこで造る側には苦労が多くやり甲斐もあるだろうが全体としては中途半端になる。
生産性については、効率を追求して余った労力は別の分野につぎ込むのである。
これをまた生産につぎ込んだら造りすぎてしまう。いっそのこと休んでしまってもいい。日本人は働き過ぎだと言われている。いい機会だから生産調整のため遊んでしまえばいい。そうでなかったら、別の製品開発や技術開発につぎ込めばいい。頭脳労働はいくら時間を費やしても持て余すことはない。これが新規事業に結びつくと思う。
「何をたわけたことを言うか、世の中不況で苦しんでいるというのに...」
と言われるかも知れないが、単純労働で身銭を稼ぐだけではこれからの世の中は渡ってゆけない。頭脳労働、ソフトウェア、ノウハウ、技術、発想力、創造力、柔軟な対応力、組織的な活動、システムインテグレートなどが重要であると思う。これまで日本が目指してきた「生産性」と「品質」の向上から目標転換して、需要に見合った生産計画を作りあげるとともに、「ソフトウェア」の部分に光を当てていかなければならないと思う。日本人にはその能力がある。過去の高度成長はこの能力によるものである。あとは目標を転換して考え方とアプローチを変えていけばいいのである。
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