今日の新聞に「正常性バイアス」の話題が出ていた。
災害時の避難の際、異常を伝える情報があっても「自分は大丈夫」と思い込む心理で、精神の平静を保つ人間の本能であるそうだ。災害時には逃げ遅れになるので、警告が出たら空振り覚悟ですぐに行動しなさいと忠告している。私としては、人間の「正常性バイアス」が悪いわけではないと思ってしまう。「正常性バイアス」を乗り越えるだけの緊迫した情報が正確に伝わっていないことが問題だと思っている。とにかく行動しなさいと呼びかけるだけではあまりに無責任であり、かえって危険を招く可能性がある。
この頃の日本のメディアの報道の根本にこのような疑問を感じることが多い。
正常性バイアスを信じるか、正常性バイアスを乗り超えて危険を察知して避難するかは個人の判断に委ねられている。どちらが安全だったのかは結果でしかわからない。そのために重要なことは正確で信頼できる情報(この場合は警報)を確実に伝達することである。そうでなければ正常な判断・決心はできない。中途半端な情報を与えておいて、とにかく行動しなさいと訴えたり要求したりでは誰も動く者はいないだろう。それで済ましてはいけない。警報そのものの伝達の方法も考え直す必要がある。
警報に深刻さと現実性・緊迫性が感じられないのである。
他人事のような、曖昧さを含んだ冷静で淡々とした警報には誰も「正常性バイアス」を乗り越えることはできない。本当に危険であるなら厳格な命令調で「逃げろ!!」と絶叫するくらいの警報もあるだろう。そんな警報を出したら住民の冷静な行動ができないと言うかもしれないが、ほとんどの住民が「正常性バイアス」の範囲内で避難行動をとっていないのが実態である。ただ、「とにかく行動しなさい」とみんなに呼びかけるだけでは済まないだろう。大いに反省すべき事項をすっぽりと見落としているのではないか。
就職活動のルールについて騒がれている。
「青田買い」と言われる企業側の抜け駆けを防止することと、早期の就職内定は学生の学業に悪影響を及ぼすとのことによるルール作りだと理解している。「青田買い」があってもいいではないか、学業は就職のためだけではないだろう。青田買いされても学業に専念できる若者こそ本当に求められる学生像ではないのだろうか。あまりにも老婆心すぎるし過保護であるために若者をスポイルしてしまっている気がする。そして、若者も「みんな同じ」の中に安住して、かえって統制されることを望んでいる。
これでは個性ある創造性ある自律した若者を育てることはできない。
就職活動と称して画一的なリクルートスーツに身を包んで猫も杓子も企業訪問をしている様子を見ていると私には異様に見えてくる。就職活動も各人の個性があって当然だろうと思う。みんなと同じ行動しかできないことに落胆こそすれ明るい未来は見いだせない。たぶん、世の中の風潮がそうであり、そのような教育を受けてきたのだろう。効率化・合理化や、みんな同じを追求し自由競争さえ制限された徹底した管理教育がこのような若者を生んでいるのではないかと危惧する。
日本の最先端の研究開発も足踏みしている。
日本国民全体に「正常性バイアス」がかかっている。新しい最先端のものに対して懐疑的であり、これを受け入れる自由度と寛容な考え方に乏しいようだ。そして、政府はこの世論に便乗して新しい最先端のものに徹底して規制をかけ許認可権を行使して足を引っ張りブレーキをかけ、時にはその芽を摘んで阻害している。日本には保守的で保身的なムードが漂っており、誰も新しいものを認めようとしない。そして、掛け声だけは「ベンチャービジネス」だとか「イノベーション」だとか「ボーダレス社会」だとか騒いでいるが、一向に具体的な行動に出ようとしない。
これでは日本は諸外国に遅れを取ってしまう。
戦後何もかも失った日本はとりあえず目の前にあるものを貪欲に手あたり次第挑戦してきた。その自由度と積極性が日本の高度成長を支えてきたと思う。ところが、先進諸国の仲間入りをしたところで守りに入ったようだ。というか手っ取り早い金儲けに奔走した気がする。最先端のものを開発する努力に金を惜しんで、なおかつ直ちに利益につながるものに手を出してきた。もう先進国と後進国の差でもって商売する時代は終わりつつある。そうであれば日本としては世界情勢を見ながら最先端を走るしかない。それが唯一の道のような気がする。
それにしても人材教育が心もとない。
後継者育成には少なくとも10年、下手をすれば20年かかる。自由な創造性を育てる教育を目指して見直す必要があるし、仲間と共同して目標を目指す能力も培わなければならない。また、島国根性を叩き直して世界へ羽ばたく人材を育てなければならない。受験戦争、就職戦争などと言っている場合ではない。大学入試や就職が最終目標ではないのである。是非、若者も人生をかけて遣り甲斐のある地域に日本国に世界に貢献できる何かを目指して個性を発揮して頑張って「正常性バイアス」を打ち破ってもらいたい。大人たちはこれを全面的に後押しできるよう協力してもらいたい。
災害時の避難の際、異常を伝える情報があっても「自分は大丈夫」と思い込む心理で、精神の平静を保つ人間の本能であるそうだ。災害時には逃げ遅れになるので、警告が出たら空振り覚悟ですぐに行動しなさいと忠告している。私としては、人間の「正常性バイアス」が悪いわけではないと思ってしまう。「正常性バイアス」を乗り越えるだけの緊迫した情報が正確に伝わっていないことが問題だと思っている。とにかく行動しなさいと呼びかけるだけではあまりに無責任であり、かえって危険を招く可能性がある。
この頃の日本のメディアの報道の根本にこのような疑問を感じることが多い。
正常性バイアスを信じるか、正常性バイアスを乗り超えて危険を察知して避難するかは個人の判断に委ねられている。どちらが安全だったのかは結果でしかわからない。そのために重要なことは正確で信頼できる情報(この場合は警報)を確実に伝達することである。そうでなければ正常な判断・決心はできない。中途半端な情報を与えておいて、とにかく行動しなさいと訴えたり要求したりでは誰も動く者はいないだろう。それで済ましてはいけない。警報そのものの伝達の方法も考え直す必要がある。
警報に深刻さと現実性・緊迫性が感じられないのである。
他人事のような、曖昧さを含んだ冷静で淡々とした警報には誰も「正常性バイアス」を乗り越えることはできない。本当に危険であるなら厳格な命令調で「逃げろ!!」と絶叫するくらいの警報もあるだろう。そんな警報を出したら住民の冷静な行動ができないと言うかもしれないが、ほとんどの住民が「正常性バイアス」の範囲内で避難行動をとっていないのが実態である。ただ、「とにかく行動しなさい」とみんなに呼びかけるだけでは済まないだろう。大いに反省すべき事項をすっぽりと見落としているのではないか。
就職活動のルールについて騒がれている。
「青田買い」と言われる企業側の抜け駆けを防止することと、早期の就職内定は学生の学業に悪影響を及ぼすとのことによるルール作りだと理解している。「青田買い」があってもいいではないか、学業は就職のためだけではないだろう。青田買いされても学業に専念できる若者こそ本当に求められる学生像ではないのだろうか。あまりにも老婆心すぎるし過保護であるために若者をスポイルしてしまっている気がする。そして、若者も「みんな同じ」の中に安住して、かえって統制されることを望んでいる。
これでは個性ある創造性ある自律した若者を育てることはできない。
就職活動と称して画一的なリクルートスーツに身を包んで猫も杓子も企業訪問をしている様子を見ていると私には異様に見えてくる。就職活動も各人の個性があって当然だろうと思う。みんなと同じ行動しかできないことに落胆こそすれ明るい未来は見いだせない。たぶん、世の中の風潮がそうであり、そのような教育を受けてきたのだろう。効率化・合理化や、みんな同じを追求し自由競争さえ制限された徹底した管理教育がこのような若者を生んでいるのではないかと危惧する。
日本の最先端の研究開発も足踏みしている。
日本国民全体に「正常性バイアス」がかかっている。新しい最先端のものに対して懐疑的であり、これを受け入れる自由度と寛容な考え方に乏しいようだ。そして、政府はこの世論に便乗して新しい最先端のものに徹底して規制をかけ許認可権を行使して足を引っ張りブレーキをかけ、時にはその芽を摘んで阻害している。日本には保守的で保身的なムードが漂っており、誰も新しいものを認めようとしない。そして、掛け声だけは「ベンチャービジネス」だとか「イノベーション」だとか「ボーダレス社会」だとか騒いでいるが、一向に具体的な行動に出ようとしない。
これでは日本は諸外国に遅れを取ってしまう。
戦後何もかも失った日本はとりあえず目の前にあるものを貪欲に手あたり次第挑戦してきた。その自由度と積極性が日本の高度成長を支えてきたと思う。ところが、先進諸国の仲間入りをしたところで守りに入ったようだ。というか手っ取り早い金儲けに奔走した気がする。最先端のものを開発する努力に金を惜しんで、なおかつ直ちに利益につながるものに手を出してきた。もう先進国と後進国の差でもって商売する時代は終わりつつある。そうであれば日本としては世界情勢を見ながら最先端を走るしかない。それが唯一の道のような気がする。
それにしても人材教育が心もとない。
後継者育成には少なくとも10年、下手をすれば20年かかる。自由な創造性を育てる教育を目指して見直す必要があるし、仲間と共同して目標を目指す能力も培わなければならない。また、島国根性を叩き直して世界へ羽ばたく人材を育てなければならない。受験戦争、就職戦争などと言っている場合ではない。大学入試や就職が最終目標ではないのである。是非、若者も人生をかけて遣り甲斐のある地域に日本国に世界に貢献できる何かを目指して個性を発揮して頑張って「正常性バイアス」を打ち破ってもらいたい。大人たちはこれを全面的に後押しできるよう協力してもらいたい。
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