昔に比べればデータ通信の容量と速度は格段に向上している。
今現在は4世代(G4)と言われ、5世代(G5)の到来も騒がれている。考えてみると、1世代(G1)はアナログ通信だったのである。私はこの頃からデータ通信をしていたが、それでも目的は達していたので、本来であれば容量も速度もそれほど必要ないのではないかと言う気もしてくる。画像だ、映像だ、高画質だ、高速通信だ、リアルタイム処理だ、大量データだと、ぜいたくな要求ばかりが先行して、必要最小限の部分さえ何なのかが不明確のまま、流されている感覚である。目的を達するためには何を提供すべきかを明確にして、その目的に迅速に到達させるための仕組みを作るべきである。
データ通信の中身をよくよく見ていると、
自分の目的とするもの以外のコマーシャルやら他の関係ないサービスの案内やら、関連記事の表示やらで画面は一杯になっている。1ページでは表示できなくて下の方までスクロールしてやっと全体を見ることができる。その中で自分の求める情報を探さなければならないし、目的のコンテンツに行き着くための入り口を探さなければならない。時々、どこから入っていいのか迷ってしまうこともしばしばである。教えてもらわないと解らないような画面設計は最初からおかしいのではないかと思う。電話をかけてその提供会社に連絡していちいち教えてもらってやっと解決すると言う原始的な方法である。まるで笑い話である。
モバイルの場合は、通信品質が悪い場所がある。
その時、インターネットにアクセスすると処理が止まってしまってハングする。5分、10分と待っても画面が表示できないでハングオーバーになってしまう。昔の1世代(G1)に比べれば信じられないような高速なのだろうが、目的が達成できないのであれば意味がない。よくよく観察していると、自分の目的とするものとは違う画像や映像の取得に時間がかかっているようだ。そうして、ある程度データを取得しないとパソコンの画面には何も表示されないのである。待って待って、最後にハングオーバーで「インターネットの接続を確認してください」では使い物にならないし、極めて腹立たしい。こんな場面によく出くわすが、被害者意識からかその不愉快気分は極めて強くていつまでも引きずってしまう。
昔もこんなことがあった。
コンテンツのデータ量が多くなると遅くて使い物にならない。その時はパソコンの表示設定を変えて余分画像や映像のデータは表示しないようにしていた。今でもその設定は残っているのだろうが、4世代(G4)の時代に逆行している気がしてそれもかなわない。それよりも、提供するコンテンツの内容を少しは考えてほしいと思っている。画像や映像をあちこちに張り付けてデータ通信量が馬鹿みたいに増大しているが、ほとんどが不必要なものである。しかもそのデータ通信にかかる料金は我々使用者が払っているのだろう。なんかおかしい。データ通信の料金は膨らむばかりである。
コンテンツの内容が迷惑情報で溢れかえっている。
これも、金儲けのための手段として使われているからこうなるのであろうが、一方的に望みもしないのに不必要な情報を大量に押し付けるのは暴力である。そんなことしてもらわなくても必要な情報は自分で探しに行くし、それを探す手段を提供することこそが必要なんだろう。非常に使い勝手が悪い状況に成り下がっている。たとえ高速通信の環境であっても円滑な表示を阻害していることは明白である。ますますエスカレートしている気がする。
物とインターネットをつなぐIoTの実現が騒がれている。
自動車もテレビも冷蔵庫も湯沸かし器も照明も各種センサーもいろんな「物」がインターネットにつながることになる。そうなるとデータ通信機器は莫大な量になるので、データ通信量が増大するのは解るが、それらのすべてが大量の迷惑情報のデーターに占領されたのでは元も子もない。もっと目的に合致したスマートな使い方はできないものだろうか…。できれば、金儲けの商用ベースのインターネット利用とは区別してもらいたいと思うのは私だけであろうか。
私の家族の使っているパソコンが長期に放置されていた。
これに久しぶりに電源を入れてネットにつないだら、OSの更新に8時間もかかってしまった。いったい何なのだろうと首をかしげてしまった。本末転倒の最たるものである。その間はパソコンは使えないのである。まぁ、別のパソコンを使えばいいので影響は少ないが、そんなOSの設計は最初からおかしいのではないかと思う。通常に使用している場合でも、時々OSの更新のため作業が中断する時がある。
昔のSUNのワークステーションはとっても使いやすかった。
画面に見開き2ページの文書が見れて、モノクロではあったが高精細で目にも優しいし、書物を見る感覚で仕事ができた。LANで結ばれていたが、今のような商業ベースではなく、共有されている必要なデータに直接アクセスできた。ウィルスの脅威なんてものもなかった。目的に直結したシステムで効率的で無駄もなかった。値段は馬鹿みたいに高くて個人では到底所有できなかったが、今の時代なら安価で実現できるだろう。一般大衆用のデータ通信システムにこんなアプローチもあるのではないかと思う。是非考えてもらいたい。
今現在は4世代(G4)と言われ、5世代(G5)の到来も騒がれている。考えてみると、1世代(G1)はアナログ通信だったのである。私はこの頃からデータ通信をしていたが、それでも目的は達していたので、本来であれば容量も速度もそれほど必要ないのではないかと言う気もしてくる。画像だ、映像だ、高画質だ、高速通信だ、リアルタイム処理だ、大量データだと、ぜいたくな要求ばかりが先行して、必要最小限の部分さえ何なのかが不明確のまま、流されている感覚である。目的を達するためには何を提供すべきかを明確にして、その目的に迅速に到達させるための仕組みを作るべきである。
データ通信の中身をよくよく見ていると、
自分の目的とするもの以外のコマーシャルやら他の関係ないサービスの案内やら、関連記事の表示やらで画面は一杯になっている。1ページでは表示できなくて下の方までスクロールしてやっと全体を見ることができる。その中で自分の求める情報を探さなければならないし、目的のコンテンツに行き着くための入り口を探さなければならない。時々、どこから入っていいのか迷ってしまうこともしばしばである。教えてもらわないと解らないような画面設計は最初からおかしいのではないかと思う。電話をかけてその提供会社に連絡していちいち教えてもらってやっと解決すると言う原始的な方法である。まるで笑い話である。
モバイルの場合は、通信品質が悪い場所がある。
その時、インターネットにアクセスすると処理が止まってしまってハングする。5分、10分と待っても画面が表示できないでハングオーバーになってしまう。昔の1世代(G1)に比べれば信じられないような高速なのだろうが、目的が達成できないのであれば意味がない。よくよく観察していると、自分の目的とするものとは違う画像や映像の取得に時間がかかっているようだ。そうして、ある程度データを取得しないとパソコンの画面には何も表示されないのである。待って待って、最後にハングオーバーで「インターネットの接続を確認してください」では使い物にならないし、極めて腹立たしい。こんな場面によく出くわすが、被害者意識からかその不愉快気分は極めて強くていつまでも引きずってしまう。
昔もこんなことがあった。
コンテンツのデータ量が多くなると遅くて使い物にならない。その時はパソコンの表示設定を変えて余分画像や映像のデータは表示しないようにしていた。今でもその設定は残っているのだろうが、4世代(G4)の時代に逆行している気がしてそれもかなわない。それよりも、提供するコンテンツの内容を少しは考えてほしいと思っている。画像や映像をあちこちに張り付けてデータ通信量が馬鹿みたいに増大しているが、ほとんどが不必要なものである。しかもそのデータ通信にかかる料金は我々使用者が払っているのだろう。なんかおかしい。データ通信の料金は膨らむばかりである。
コンテンツの内容が迷惑情報で溢れかえっている。
これも、金儲けのための手段として使われているからこうなるのであろうが、一方的に望みもしないのに不必要な情報を大量に押し付けるのは暴力である。そんなことしてもらわなくても必要な情報は自分で探しに行くし、それを探す手段を提供することこそが必要なんだろう。非常に使い勝手が悪い状況に成り下がっている。たとえ高速通信の環境であっても円滑な表示を阻害していることは明白である。ますますエスカレートしている気がする。
物とインターネットをつなぐIoTの実現が騒がれている。
自動車もテレビも冷蔵庫も湯沸かし器も照明も各種センサーもいろんな「物」がインターネットにつながることになる。そうなるとデータ通信機器は莫大な量になるので、データ通信量が増大するのは解るが、それらのすべてが大量の迷惑情報のデーターに占領されたのでは元も子もない。もっと目的に合致したスマートな使い方はできないものだろうか…。できれば、金儲けの商用ベースのインターネット利用とは区別してもらいたいと思うのは私だけであろうか。
私の家族の使っているパソコンが長期に放置されていた。
これに久しぶりに電源を入れてネットにつないだら、OSの更新に8時間もかかってしまった。いったい何なのだろうと首をかしげてしまった。本末転倒の最たるものである。その間はパソコンは使えないのである。まぁ、別のパソコンを使えばいいので影響は少ないが、そんなOSの設計は最初からおかしいのではないかと思う。通常に使用している場合でも、時々OSの更新のため作業が中断する時がある。
昔のSUNのワークステーションはとっても使いやすかった。
画面に見開き2ページの文書が見れて、モノクロではあったが高精細で目にも優しいし、書物を見る感覚で仕事ができた。LANで結ばれていたが、今のような商業ベースではなく、共有されている必要なデータに直接アクセスできた。ウィルスの脅威なんてものもなかった。目的に直結したシステムで効率的で無駄もなかった。値段は馬鹿みたいに高くて個人では到底所有できなかったが、今の時代なら安価で実現できるだろう。一般大衆用のデータ通信システムにこんなアプローチもあるのではないかと思う。是非考えてもらいたい。
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