オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

生活習慣病

2006年05月09日 | Weblog

昔は「成人病」と言っていたのに、どういうわけか「生活習慣病」と呼び方が変わった。

 名称が変更になった時にはマスコミでも取り上げられ、個人個人の病気を予防する意識を向上させる目的であったと記憶する。成人になったら老齢化とともに病気になるのは仕方ないとあきらめるのではなく、病気の原因は個人の生活習慣に起因しており、この生活習慣を改善すれば病気は予防できるという前向きの姿勢を目指したらしい。確かに健康的な生活と不健康な生活はある。しかし、健康的な生活をする努力は個人の責任だけではない。自然環境や社会環境は個人だけではどうにもならないし、これを改善するのは国や市町村レベルであり、その責任も大きい。どうやらその部分がバッサリと抜け落ちている気がする。

自然環境が悪化の一途をたどっている。

 このことに対して国や市町村は積極的ではない。根本的な改善策を見送って対処療法を繰り返している。ひどくなってどうしようもなくなってから重い腰を上げてしぶしぶ対策に乗り出す有様である。しかも原因が明確に確定するまでは動かないし、ほぼ確定しても何かと言い訳をして時間延ばしを図っている。すでに重大な環境破壊が起こっているにもかかわらずである。開発事業(環境破壊)は金儲けになるが、どうやら自然環境保護は金儲けにならないようである。環境破壊を無視して安易な開発事業や近代的?手法を施して日本国全土はズタズタになりつつある。

社会環境はあまり改善されていない。

 健康的な生活を送るためには、労働環境を改善しなければならない。それなのに労働環境は根本的にはそれほど変わっていない。いっそのこと生活習慣の改善を提唱するなら、働き方も改善したらどうだろう。いまだに日本人は働き蜂のままである。そして仕事のストレスが体を蝕んでいる。仕事中心の生活から自分中心の生活に切り替える必要があるが、今の日本でそんなことを言ったら仲間はずれになってしまいそうである。仕方ないのでいかにも熱心に仕事をしている振りをして適当に息抜きをしているのが現状である。早く堂々と生活をエンジョイできる環境が整ってほしいものである。

私的には、仕事はだらだらやっても能率は上がらないと思う。

 今の日本人は時間に縛られて仕事をしている。やっとこの頃「能力主義」などと言い出したが、もっと考え方を変えていくべきである。仕事を待っているのでなく、積極的に見つけてやっつけていけば良い。そして仕事のないときは堂々と休めばいいし、仕事の成果分の給料さえもらえれば良い。働きたい人はどんどん働けば良いし、働きたくない人はそこそこに働いていれば良い。人それぞれの幸福の価値は「金」だけではないし、少ない給料でも幸福な生活が可能である。贅沢をするために無理をして働くよりも、質素・倹約で良いから仕事に追われずゆったりと暮らしたい。また、質素・倹約の中にこそ本当の幸福がある気がする。 

最後に、成人病は生活習慣病と同じではない。

 成人病は老化によるものであり、生活習慣病は個人の不摂生によるものである。老化は万人が避けることはできないが、生活習慣病は個人の努力である程度改善することは可能である。問題は、老化により防ぎようのない成人病そのものに対する対策がバッサリ抜けていることであり、たとえ生活習慣病と言い換えたにしても、個人の責任追及ばかりで、国としての果たすべき責任が不明確でごまかしていることである。成人病は個人の生活習慣改善で全て改善できますと言うのであれば、国は叱咤激励しているだけで何もしなくていいことになる。成人病を死語にしてはいけないし、生活習慣病を個人の責任だけにしてもいけない。

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