オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

車で人が殺せる。

2006年09月26日 | Weblog


自動車は凶器になる。

 毎年1万人近くの人が自動車による道路交通事故で犠牲になっている。やはり乗っている人の死亡事故が多いが、同じくらい歩行中の死亡事故も多い。運転者側の原因はスピード違反、わき見運転、酒酔い運転等で、歩行者側の原因は飛び出し、信号無視、車両の直前直後の横断だそうである。ただし、歩行者は常に弱者で、歩行者は原因が運転者側、歩行者側の区別なく被害者となる。歩行者にとって自動車は凶器であり、酒酔い運転や無謀運転の自動車は歩行者だけでなく善良な運転者にとっても凶器となる。


毎年1万人近くの犠牲者は異常と言えば異常である。

 しかし、誰も深刻に異常だと思わない。普通の交通事故死は日常茶飯事で珍しくも何ともない事件となっている。大惨事があった時、一時的な興味本位でマスコミに取り上げられるが、抜本的な解決もなく忘れ去られてしまう。抜本的な解決策は簡単と言えば簡単である。自動車の数を減らすか道路を広くすればいい。自動車が多いから衝突する確率が高くなるし、道路が狭いから衝突する機会が多くなる。いっそのこと車道と歩道を分離すれば劇的に歩行者の死亡事故は減少すると思う。

ただでさえ自動車は凶器である。

 それなのに、酒酔いで正気を失った状態で運転されたら、単なる凶器ではなく殺人行為そのものである。私としては「殺人罪」として厳罰に処しても問題ないと思うし、そのくらい酒酔い運転は確信的な殺人行為であることを肝に銘ずる必要がある。また、制御不可能な無謀運転で市街地を走行するのも立派な殺人行為である。なぜならば、目の前に歩行者が現れても回避できないことが明白なのである。故意の殺人と言ってもいい。その他はわき見運転などの不注意であるが、これも不幸ではあるが殺人の責任を免れるものではない。

「フェイルセーフ」という言葉がある。

 事故や故障の時に働く安全装置で、常に安全な方向に働き大事故を防ぐ仕組みであるが、交通事故にも「フェイルセーフ」を取り入れる必要がある。自動車の機能や交通システムに取り入れることも重要だが、人間(運転者)そのものに取り入れる必要がある。万が一事故が起こっても安全な方向に働けるだけの判断力と時間的・空間的余裕を持つ必要がある。不注意の事故であっても死に至らない範囲で自動車を運転すべきである。危険を危険とも思わず、正常なコントロールと判断力を欠いた状態で自動車を運転することは厳に戒めなければならない。


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