オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

バリアフリー

2006年09月28日 | Weblog

バリアフリーとは本来建築用語であるが、最近では社会的、制度的、心理的な障害の除去という意味でも使われている。

 バリアフリーを声高に叫ぶことは、現状が徹底してバリアフリーでないことを証明していることでもある。バリアフリーを表明しても見せかけだけのバリアフリーで済ませてしまって実効を伴わないのであれば意味がない。何もかもバリアフリーにするのも現実離れしているし、どこまでバリアフリーにするかも検討すべき重要な課題である。例えば、視覚障害者用の点鋲ブロックや点字表示がある。国で設置基準が決められているため今ではどこでも見かけるが、果たして有効に活用されているかというとそうでもない。健常者側からは視覚障害者のためと解りやすく納得がゆくかもしれないが、視覚障害者側から見れば解りにくく納得が行かないものが多いようだ。そして、町中のいろんな所に見かけるがどれほど活用され役に立っているのかは不明であり、利用されているのを見ることはほとんどない(未活用のものが多いのではではないかと危惧する)。

例えば、視覚障害者が電車に乗るとする。

 駅の点鋲ブロックを見てみると、あちこち縦横無尽に設置されている。どこに行っても視覚障害者が困らないためという健常者の配慮かも知れないが、視覚障害者としては最短距離で安全に乗れるルートを案内してくれればいいはずである。また、点鋲ブロックは設置されているが点字の案内表示は見当たらない。あったにしても小さすぎて健常者が見つけるのも難しいほどである。視覚障害者にルートは示されるが行き先がわからないのでは迷子になってしまう。健常者であっても案内板通りに行動して迷子になってしまうことはしょっちゅうである。広大で複雑な駅やショッピングセンタ等は視覚障害者が一人で自由に歩き回るのは困難かも知れない。こんなことを言うとバリアフリー精神に反するとお叱りを受けるかも知れないが、バリアフリーの目的は何も健常者と同じ行動が取れることではなく、障害者が一般の社会で普通の生活が送れることなのである。たとえば、一般社会の中で買い物ができ、食事ができ、文化活動等ができる環境があれば問題ないはずである。

バリアフリーは健常者にとってもバリアフリーである。

 健常者が障害になってしまうバリアフリーは本末転倒である。健常者側からちょっとした思いやり(例えば段差をなくす等)があればバリアフリーは可能なのであり、障害者からの前向きな提案も重要である。健常者の自己満足でもいけないし、障害者が被害者意識と依存体質だけで我がままを言ってもいけない。そんなことを考えると日本でのバリアフリーはまだまだの感がある。障害はその人の個性と受け取ればいいと思う。個性を生かすために何をすべきかを考えなければならない。可哀想だ不憫だという感情論だけで片づけてしまっては、特別視、特別扱いになり差別に通じてしまう。同じだという認識の上に立って差別を取り去ることから始めなければならない。差別がなくなると言うことは障害者側も自立する覚悟を持つ必要があるのである。その自立を助けることこそバリアフリーにつながると思う。

バリアフリーは何も障害者に限ったことではない。

 いろんな所にバリア(障壁)がある。バリアフリーが実現できないのは、その障壁を障壁として認めず問題を無視してきたからである。障壁があれば取り除いてやろうと言うちょっとした思いやりと、きっかけを作る前向きな問題提起があればひとつずつ障壁は取り除かれて行くはずである。障壁を障壁と思わない人と障壁を障壁と思う人が十分に話し合うべきである。その話し合いこそ障壁がなくなるための唯一の方策である。一方通行のバリアフリーではいつまでたっても障壁はなくならないし、かえって障壁を高くしている可能性がある。世代の断絶も親子の断絶も先生と生徒の断絶も男女の断絶も国と国の断絶も文化の断絶も民族の断絶もみんな同じではないかと思う。バリアフリーバリアフリーと念仏のように唱えてみたところで何の解決にもならない。具体的に目の前の問題からひとつひとつ解決して行くしか方法はない。

技術の発達は障害者にとって大いなる恩恵をもたらす。

 電化製品も移動手段も情報通信機器も健常者の省力化・利便性を向上させるが、このことは障害者との障壁が低くなることでもあり、障害者が容易に利用できる可能性を増大させていることでもある。ある程度の技術とハードウェアは整いつつあるので、あとは健常者にも障害者にも使いやすいソフトウェア面での利用技術の向上が望まれる。健常者も老齢化とともにいろいろな点で障害者の領域に近づいて行く。そういう意味では健常者、障害者のバリア(障壁)なんて最初からないのである。その場限りの自分本位の考え方がバリア(障壁)を作り出しているとも言える。

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