オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

大阪都構想の顛末

2015年05月26日 | Weblog

大阪都構想で住民投票があった。

 投票の結果、半数以上を獲得して都構想は大阪府民(市民?)に支持されなかった。そして、橋下さんは政治の世界から姿を消し、維新の会の党首は責任を取って辞任した。私としてはどうしても合点がいかない。数字だけで多数決投票して結果がすべてだという議論についていけない。果たして半数近くの支持者の票はどこに消えてしまうのだろう。

問題点があってこれを改善しようとすることに異議はない。

 そして半数以上の人が問題点を認識していてどうかしなければならないと思っているのも事実である。都構想に反対した人の中にも現在の案には反対であるが、問題点があることを認識している人は多数いる。引き続き重複している大阪自治の改善を図っていかなければならない。どうしてバッサリと止めてしまうのか理解できない。大阪市民に賛成してもらえるよりよい都構想を目指して再度挑戦すべきである。

今の日本は二者択一の意思決定を迫られることが多い。

 確かにわかり易くて理解しやすいけれども、現実の世界はそうではない。AかBかと決断を迫られても、実際の結論はAとBの折衷案であることがほとんどである。AとBのどちらか結論がはっきりしている場合は議論することもないし、大々的な投票をして多数決にする必要もない。AとBのどちらに決定しても他方の案の意見を取り入れて改善を図った後実行に移すことになる。これは当然のことだと思うがどうだろう。

この頃の試験の解答が選択式の場合が多い。

 極端な場合は二者択一だが、これは採点の処理を効率化するための手段であって、本来の現実にある課題の正解がひとつであることはほとんどない。反対に正解がひとつであるような課題にあまり重要な価値はない。どちらかと言えば万人に解りきったことか、単なる事実だけに過ぎない。正解が何なのかわからないことに課題の真の価値があり挑戦に値する。○×だけの回答ばかりしていると、こんな簡単なことも理解できなくなるようだ。

安倍首相が米国を訪問して各地で成果を挙げてきた。

 それなのに、帰国すると、国会の承認を得ずに勝手なことを述べたとして「首相失格」との批判があった。本当にそうなのだろうか、本当にこの人はそう考えているのだろうか?その人の思考回路に疑問を抱かざるを得ない。単に批判するための揚げ足取りならわからないでもないが、そんなことをしても他人の成果にけちをつけ足を引っ張るだけで何の成果にも貢献しない。まずは、相手の成果を認めるべきだろう。これだけの成果をもたらした日本国首相の外交成果は久しぶりのことである。肯定か否定かの二者択一の思考は貧困でさえあり、人としての価値を貶めるだけである。

安全保障関連法案が国会で審議されている。

 これも同じである。賛成か反対かだけの議論ではなく、現在の日本国の安全保障に問題があることをまず認めるべきであり、そのために何をどのように改善しなければならないかを議論すべきである。賛成と反対の平行線のまま議論してもあまり意味はないし、賛成のための賛成論と反対のための反対論では本当の問題点はいつまでたっても改善されることはない。それ以上に「与党の成果にさせてなるものか」のような頑張りは国民を無視した自己中心の不毛な努力でさえある。

コンピュータは皮肉なことに「0」と「1」である。

 しかしながら、最新のコンピュータ技術は、膨大な「0」と「1」を複雑に組み合わせて人間の複雑な思考過程をシミュレートできるようになりつつある。それなのに当の人間が二者択一の思考しかできないのではあまりにも恥ずかしい。相手の意見を全否定したり全肯定したりする時には少しは考え直して、本当にそうなのだろうかと自省してみたいものである。通常はそんなことはない。事実や真実に間違いはないだろうが、これに基づく考え方や解釈には無限大の可能性がある。そして、たまには事実や真実と思い込んでいることにも疑問を持って冷静な考え方を保持したいものである。


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