オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

永遠の自己

2022年01月18日 | Weblog

私は過去にも未来にも永遠の自己が独立的にあると思っている。

 これを人は利己的なエゴイズムの発源だと言うが、これがエゴイズムに発展しないのは、他人も同じように永遠の自己を保持しているという感覚を持っているからだと思う。他者から孤立しない自分があれば何も問題ない。他者から孤立して閉鎖的な状態で他者との関係を構築するからエゴイズムだ利己主義だと言われてしまう。他者はどうだろう、他者も同じではないかと考えを巡らせれば利己的でもなく利他的でもない中立的な考え方ができるのではないかと思う。

利己的であってもエゴイズムでもいい。

 他人と関わらず自分一人だけであれば何も問題ない。この状態で他人と関わることを追求するから変な状態になってしまう。本当に利己的でエゴイズムを追求している人は他人にとっては理想的な空気みたいな人間である。何の影響も与えないからである。そんな人が影響を与え始めるから困ったことになる。自分だけで完結できずに他人と関わろうとするのならある程度利己的な考えを捨てなければならない。それができない部分は他人にとって迷惑そのものである。寛容な他人はある程度のことは許すだろうが、基本的にはそれを期待し強制することは許されない。

利己的か利他的かを決めるのは人間である。

 現象としては現在の状態しかない。現在の状態がどうなのかを考えるのはまずは自分であり、その時に他人も考えに入れることが重要なのだろう。そして利己と利他のバランスをうまくとることが必要なのだろう。本来人間は利己的な動物であり、これに利他的な要素を取り入れることはそれだけで十分利他的であるとも言える。最初から利他的である人間は自己喪失の何者でもない。他者は無数いや無限大に存在するのであり、そこに統一した自己など存在しない。

昨今、信じられないような事件が多発している。

 当該事件の犯人の動機なり思考を聞いていると、ほとんど理解できないことばかりである。自己が孤立しているのである。自分の中だけで構築された偏った考え方の中に埋没しているとしか見えない。だから周囲からみると理解できないし、まるで生まれたての赤ん坊のような発言である。自分もある程度は苦しいかもしれないが他人も苦しいのであり、その他人の苦しみを軽くするために自分も努力しなければならないのである。自分だけが苦しいと思っているところが間違いの始まりである。

肉体も精神も感情も思考も自己さえも現状としてしか存在しない。

 現在の状態が事実として存在するだけである。それを未来に向かってどのように開拓・改善・創造してゆくかは自分次第なのである。そして、過去には自分の歩んできた道が営々と続いているのである。その時に、自分の過去と自分だけを見つめて閉じこもっていても何も解決しない。自己の問題を解決するのは未来に向かって、周囲の他人に向かって自己を発散させ表現させその反応を見て創造しながら突き進んでゆくしかない。


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