宇ゐの里山徒然記

町屋暮らしの後、2013年10月北山杉の里、右京区京北町に移り住みました。
周辺の紹介と暮らしの事など綴ります。

謹賀新年 

2006年01月02日 | 将棋
2006年が明けた。

実家での無線LAN接続を今日成功し・・・(^。^;)
最初にしたことは将棋・・・・・・・・

なんと2ヶ月ぶりの将棋で無事(ラッキーとも言う・・・(-。-))勝利!!!
最高R(持ち点)を更新した。
ほんとに久しぶりだったせいか何故かめちゃくちゃ緊張してしまったww
『将棋倶楽部24』という将棋対戦サイトで指しているのだが
ここは強い人が多く、私が勝っていくのは結構キビシイ。。。

まぁネットで将棋しようとする人たちの集まりなので、いわゆる“将棋好き”が多いだろう。
私は数年前に始めて、その時はほんとに駒の動かし方もおぼつかない状態だった。
男性諸氏は小さい頃に将棋盤で遊んだ記憶のある人が多いだろうが
女性は駒に触ったこともないというのも珍しくはないと思う。

私が将棋を始めたきっかけは“脳の退化を実感したから”である・・・

年賀状の宛名はいつも手書きをしているのだが
郵便番号がわからなくて番号帳で調べていたら
なんと番号帳で見た番号をいざ葉書に書こうとすると
その7桁をもう一度見ないと全部書けないのである。。。。。ぅぅぅ

多分、情報を脳の中に置いて引き出す という力が衰えてきて
少し長い数字の羅列になると引き出せなくなってしまっているらしい。

将棋は目に見えてない駒の動きを脳の中に置きながらプランを立てていかなくてはならないゲームなので
多少は脳の鍛錬になるかと思うのだが・・・・

しかし いざ始めてみるとその奥の深さと言ったら半端ではない。
脳の鍛錬どころではなく、気がついてみたらかなりハマってしまっていた。

囲碁より将棋の方が親しみやすいと私が思うのは
駒に人格(?)のようなものを感じるからである。
社長(王将)がいて部下(飛車・角・金・銀・・・)がいてヒラ(歩)がいて・・・という、社会の縮図のようなものも醸す高度な人生ゲームのように思えてならない。

攻めなのか、守りなのか・・・攻めながら守るのか、守りながら攻めるのか・・・
“棋風”という言葉があるが指し手の人格や考え方によって駒の動かし方が変わり、そこに“定跡”という理想形の知識を基にした序盤からのプラン立てによって中盤以降の流れを作るという壮大なストーリー性を持つゲームなのだ。

しかも、『判断』(&裏づけ)『決断』 の繰り返しは仕事や生活にも充分応用が効く。

勝つか負けるかという二つに一つ世界とそこに至るまでのプロセス。
実生活や仕事での結論はそう単純ではないけど
新しい年の始まりとしては“いい結果”は目的ではなく努力を伴うプロセスの賜物であると改めて言い聞かせている。

コメント (8)
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