悠仁殿下が成年となられるお誕生日は9月6日ですが、成年式にあたる加冠の儀は来年3月高校ご卒業を待って行われます。
いよいよ悠仁殿下が成年皇族になられる日が足音を立てて近づいてきました。
加冠の儀をより弾む心で迎えられるよう、気の向くままに勉強して行こうかな、と思います。
皇室祭祀令には、天皇の成年式、皇太子の成年式、親王の成年式、王の成年式についての条項があります。
気になるのは、皇太子の長男親王として成年式が行われた今上と皇嗣殿下の長男親王として成年式が行われる悠仁殿下の加冠の儀に差があるかどうか、ですね。
皇太子(皇位継承第一位)と皇嗣(皇位継承第一位)のそれぞれの長男の加冠の儀に差があるのなら、それは、すなわち、皇嗣≠皇太子、というようなもの??さて、どうなるのでしょうね。
明治天皇
嘉永5年9月22日(1852年11月3日) 御誕生
万延元年7月10日(1860年8月26日)勅命により儲君と定められる
万延元年9月28日(1860年11月10日)親王宣下の儀
孝明天皇の宸筆による「睦仁(むつひと)」の2字が示された
聖徳記念絵画館壁画『立親王宣下』
内大臣二条斉敬(左手前)が「睦仁」の御名を記した書を蔵人権右中弁清閑寺豊房に手渡す光景。奥には権大納言広橋忠礼(左奥)などが控えている。
明治元年9月8日(1868年10月23日)一世一元の詔
明治22年2月11日(1889年2月11日) 皇室典範
明治41年9月19日(1908年9月19日)皇室祭祀令
明治42年2月11日(1909年2月11日)皇室成年式令
大正天皇
明治12年(1879年)8月31日 御誕生
明治20年(1887年)8月31日 儲君 と定められる
明治22年(1889年)11月3日 立太子礼
※儲君
日本国語大辞典
皇太子にする予定の皇子に宣下された称号。のちに立太子の儀があって初めて皇太子となる。霊元天皇が朝仁親王(のちの東山天皇)に宣下したのが最初。
- [初出の実例]「況や太子なき時は国の根本かるい故に、儲君と云て格別に立て」(出典:雑話筆記(1719‐61)上)
東山天皇…霊元天皇の第4皇子。1682年(天和2)父天皇の強い希望により儲君(ちよくん)に治定,翌年皇太子となり,ついで87年(貞享4)践祚した。立太子の儀は300余年間の中絶を復活したものであり,儲君治定は立太子以前に皇嗣の身分を確定しておく必要から始められた新儀である。…
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
😐 儲君=皇太子、という理解でも良いが、大正天皇の例をみても解るように、立太子の礼をもって正式な皇太子となります。
明治天皇は「近代の天皇のなかでただひとり皇太子にならずに天皇となった天皇」と解説されることもある。
明治天皇、大正天皇共に皇室成年式令制定以前に成年を迎えている。
昭和天皇
明治34年(1901年)4月29日 御誕生
明治45年(1912年)7月30日、祖父・明治天皇が崩御し、父・嘉仁親王が践祚したことに伴い、旧皇室典範の規定により皇太子となる。
大正3年(1914年)11月3日 立太子礼
大正8年(1919年)4月29日満18歳 5月7日成年式
平成の天皇
昭和8年(1933年)12月23日 御誕生
昭和27年(1952年)11月10日 立太子礼と成年式が同日に行われた。
令和の天皇
昭和35年(1960年)2月23日 御誕生
昭和55年(1980年)2月23日成年式
昭和64年(1989年)1月7日 昭和天皇崩御、平成の天皇践祚、に伴い皇室典範の規定により皇太子(皇嗣たる天皇の皇子を皇太子とする)となる。
平成3年(1991年)2月23日 立太子礼
令和元年(2019年)5月1日 即位
秋篠宮皇嗣
昭和40年(1965年)11月30日 御誕生
昭和60年(1985年)11月30日 成年式
令和元年(2019年)5月1日 令和の天皇即位に伴い皇嗣(皇太子)となる。
令和2年(2020年)11月8日 立皇嗣礼
大丈夫かなぁ~
(イメージ画像)
😰 令和に入って、次々に破壊されていく宮中祭祀、宮中行事、皇室の伝統、、、2000年の歴史も一瞬で破壊される。
ゴジラがどなたをしめしているかは御想像におまかせします。
皇嗣(皇太子)の子という点では、今上と同じてすが、内廷外皇族なのが懸念点ですね。
私としては今上の時と同格で成年式を執り行うのが筋と考えていますが、どうなるでしょう。
記事最後の画像…如意さんのこういうセンスがとても好きです(笑)
プランターに躓く格好と形相が、ゴジラみたいだなと思ったことがありました。
女将ときどきおっさんゴリラ&ゴジラ(個人の感想です)
皇室特番が子どもながら好きだった私でも、加冠の儀の浩宮さまと礼宮さまを強烈に覚えているといえば嘘になります。
殆ど記憶にありません。
それはその頃自分も成人を迎え関心が他に色々あり、出掛ける楽しみが増えたからです。
皇室にまた一気に関心が向くようになったのは、紀子さまのおかげだと思います。
悠仁親王殿下の成年の儀式、わくわくします。
着袴の儀では結び紐が高倉流ではなく山科流であることから、皇位後継者であるとの事、勉強になりました。
私も楽しみながら調べたいと思います。
昨夜、「光る君へ」を見たのですが、印象に残ったことが2つありました。
行成が一条天皇に対して
「皇后が祭祀をしないから禍が起きるのです。」
と進言するシーンがありました。
おおっ!まさに !!
私達も、きちんと祭祀を行う皇后を戴きたいものです。
番組の最後の「光る君へ 紀行」の中で、泉涌寺が紹介されましたね。
泉涌寺は、清少納言縁の御寺だったのですね!
益々訪れたくなりました。
> 私の大好きなゴジラに例えるの…やめて下さい(笑)...
返信。(笑) わたしもそう思いましたよ、
冷蔵庫にも済まないと思いますよ (笑)
皇嗣殿下の珍しいお写真集を、他blogで見ましたので、お持ちしました。どうぞ、ご高覧くださいませ。
徳仁天皇の成年式を検索しましたら動画が一本ヒットしたのですが、手続きしないと入れないので、コメント読むだけで我慢しました。昭和天皇と香淳皇后がお言葉述べられたそうで、皆さん、感激していました。特に香淳皇后のお声が「珍しい、やさしい」と、何人もが感動していました。
下記↓のお写真では、昭和天皇と明仁皇太子夫妻のみで、香淳さまのお姿が無いのは長男優位の皇室らしさですが、実際に現皇室を長年牽引している次男家が、お誕生以来ずっと二番手扱いされ続けて居るのは不満で、くちびる嚙み締めずには居られません。悠仁親王殿下の成年式が待ち遠しいです。
■■秋篠宮皇嗣殿下の 加冠の儀のご様子 2024-07-19
https://ameblo.jp/dictio2/entry-12860530408.html