「何してるの?」
すっかり寝静まった宿屋。
部屋の窓の向こうに、仲間の気配を感じてウイはベランダに出た。
「んー…、明日、晴れるかなあ、と思って」
ウイより先に、隣の部屋のベランダに出ていたヒロが、夜空を見上げたまま答える。
「ふうん?」
その横顔を見て、ウイは、ベランダの手すりを乗り越えることにした。
羽は失くしてしまったが、体が身軽なところは天使界に居た頃と変わりない。
隣のベランダに飛び移ることくらい、なんでもないことだ。
ヒロも、そんなウイの行動を咎めたり驚いたりはしないくらいには、付き合いが長い。
隣のベランダから飛び移ってきたウイの為に、体を避けてくれた。
「ミカちゃん、怒ってるの?」
時間が時間だっただけに、余計な前置きはなしに切り込む。
そんなウイに、ヒロが笑った。自分がここにいる理由がばれたか、と少し気まり悪そうに。
「うーん…」
ヒロの様子に、ウイは考える。
ミカは直情型だ。感情のままに激する事は多いが、事が終われば一切引きずらない。
だから、今、引きずっているのは、ヒロなのだ。
「ウイは、ヒロのそういうところ好きなんだけど」
「ん?」
「自分の事は後回しにして、周りの事を優先するでしょ。和とか雰囲気とか大事にするでしょ。そういうの」
「…うん、まあ」
「でもミカちゃんは、そうじゃないんだよ。和を乱しても、がっつり自分を主張するよね」
「うん、そだな」
「だから、他の人もそうして然るべき、って思ってるんだよ」
うん、と頷いたヒロは、手すりに腕を組んで、そこに顎を乗せた。
ヒロにはヒロなりの、複雑な思いがあるだろう。だから、ウイは構わず続ける。
「そうやって自分を主張してくれないと、逆に、ミカちゃんは不安に思うんだよ」
「…」
ウイが重ねた言葉に、返事はない。
それは、ウイの言葉を拒否しているのではなく、うまく飲み込もうとしているようだった。
ヒロは人当たりが良い。誰とでも仲良く付き合うことができる。
それだけに、確たる「自分」というものを持たない。
これまでの人間関係において、「自分」を持っていては不利だと経験したのか、どうかは知らない。
それでも、多くの人間関係を、器用にこなしてこなければならなかった上で形成された、
ヒロなりの、防衛だということは解る。
だが、どんなふうにも器用に立ち振る舞える分、諸刃の剣であるように、ウイには思えるのだ。
現に今、ウイとミカの理想の間で、「ヒロ」という人格は相殺されている。
その姿は、今のように、一人立ち尽くすしかない夜もあったのだろうと推測される。
だから、今、ヒロを放っておくことができなかった。
「でもね、ヒロ」
「うん」
「それで、良いんだよ」
「へ?」
「ミカちゃんだって、完全に腹割ってヒロと付き合ってるわけじゃないのに
ヒロが腹割ってくれない!って怒るのは、ミカちゃん勝手!って、ウイ思うもん」
「うは」
ウイの前置きのない言葉に驚いていたヒロだったが、
あのミカに対してずけずけと云ってしまうウイの様子に、思わず、といった感じで笑った。
それに笑顔で返して、ウイは続ける。
「ウイだって、ミカちゃんはケンカばっかりして、って怒ったとしても、それもウイの勝手なんだよ」
人はみんな勝手なんだよ、と云うと、ヒロはまた複雑そうに黙ってしまった。
だから、少し考える。ヒロが、もっと自由に考えられるように。
「あ、そうだ」
「…うん?」
「ねーねー、ヒロだって、ウイに云いたいことあるでしょ?」
「云いたいこと?」
「んーと、なんか、不満とか。もっとこうしたらいいのに、とか、それ違う、とか」
「えー?不満?ウイに?…あるかなあ、俺」
「何かあるでしょ?何でもいいんだよ?」
たとえば、と考えて、先導する。
「ウイがご飯ちょっとしか食べないから、ヒロいっつも残り食べさせられて」
「食費が浮いて、助かってます」
「ウイがふざけてるのにヒロが乗ってくれるから、いっつもミカちゃんに怒られて」
「ミカのノリがいいから怒られるのもめっちゃ楽しいです」
「野宿の時にミカちゃんと二人でぼーっと座ってて」
「ミオちゃんに色々習ってるから、二人きりで仕事させてくれてやりがいあります」
「ウイが前を見ないでモンスターにぶつかるから余計な戦闘回数増えて」
「お金落とすモンスターの戦闘は大歓迎です」
「もー!!何かないの、何か!!」
「ウイ、声でけえ…っ、今、夜中、夜中…っ」
突然の大声に慌てふためくヒロにつられて、ウイも焦ってじたばたする。
二人で人差し指を立てて、「しーっ、しーっ」、なんてやりあった後も。
「怒らないから、ウイの嫌なとこ、云ってみてってばー」
と、強引に詰めよっていると、完全に困惑したヒロが、腕組してうつむいた。
「…嫌なとこなんかないのに、無理やり云わせようとするウイが、今、嫌。かなあ…」
ウイの思惑とはまるで違った答えが返ってきて、ウイの方も困惑する。
「…う、うーん、まあ、…うん、まあそれでもいいんだけど…」
それは本心からなのか、それとも性格的な考え方からなのか、経験上の防衛なのか。
「いや、ウイのこと嫌いだったら、こんなに一緒に旅続けたりしないし…」
ミカも、ミオちゃんでも同じだよ、とヒロは云う。
それはヒロの純粋な部分だと解ってはいるが、ウイはどうしてもヒロに伝えたい。
「それって、好きっていうことなんだよね」
「ん?…うん、好きだけど?」
ウイの話の先を読めないヒロは、まずウイに同意をしてみせてから、その先を促す。
ウイも、頷いて返してから、言葉を続けた。
「好きだから、許せるんだよ。ウイの悪いとこも、皆の悪いところも、
一番初めに、好き、っていう感情があるから、その人の駄目なとこも、許せるんだよね」
「ああ、うん。そっか。…なんか、ウイの云いたいことわかった」
「うん、たとえばね、あなたのここがダメだ、ってヒロが二人に云ったとするよ?」
「うん」
「ミオちゃんは、ごめんなさい、直します、って云うの。ミカちゃんは、うるせー、ほっとけ、って云うと思うよ」
「うんうん、あの二人はそういうよな」
「ね?」
二人とも行動は全く違うけれど、その行動を起こさせる感情はヒロへの「好意」だ。
「ミオちゃんはヒロに受け入れて欲しいから、自分の欠点を直そうとするんだよ。
ミカちゃんは逆に、そういう自分をヒロに受け入れさせようとすると思うよ。
でも、どっちも、ヒロと付き合いたい、っていう最初の気持ちは一緒なんだよ」
「…うん」
「ね。それと同じだよ。だから、ヒロもそのままでいいんだよ。
ヒロがウイを好きだって思ってくれてるの、わかるもん。ミカちゃんも解ってるよ」
人はきっと、初めに抱いた好意と、その後に育まれる好意とを折り合わせるようにして
交流する。
「好き、っていうのは自分と相手と、一緒に<作っていくもの>なんだと思うんだよ」
「うん」
「上手に綺麗にできないから、って、ヒロ一人が悩まなくたっていいんだよ」
一人の人を、初めから100%完全に好きだなんて事はありえない。
人の感情はそんなに単純ではないし、人間関係もそれほど簡単ではない。
「それと一緒で、周りのぜーんぶの人から、好き、って云われる人もいないんだよ。
いなくて当たり前なんだよ」
「あ、ああ、…そっか」
先に、人はみんな勝手だ、と云った言葉が今、ヒロの中で繋がったのが解った。
ウイは、ヒロにこれを解って欲しかった。
「そんなことしてたら、ヒロ、そのうち身動きとれなくなっちゃうよ」
「…うん、そうだよな」
ヒロだって、本当は解っているのだ。解っていて躓く。ウイは、それを悪いことだとは思わない。
ただ、一人夜空を眺めないといけない傷がヒロにあるなら、癒したいと思っただけだ。
それを。
「夜中にうるせーよ!さっさと寝ろよ、おまえら!」
突然、背後の窓が開いて、中からミカが怒鳴った。
驚いて、ヒロと二人でそちらを見れば、もうミカの姿はベッドへ戻っている。
その切り替えの速さに、思わず顔を見合わせて、…笑ってしまった。
今の会話が聞こえていて、それでも何も云わず、ただ窓を開けてヒロを迎えるだけのミカも
不器用ながらに優しいのだ、と知っているから、ウイもこれ以上は必要ないと思う。
ヒロにも、それは伝わったのだろう。あの笑顔でわかる。
「おやすみ、ヒロ」
「おやすみ、ウイ」
短く、それだけを交わして、お互いの部屋に戻る。
戻りしな、ウイは自分の部屋の中に、心配そうに起きているミオの影を見つけてほほ笑む。
もう一度振り返ったそこには、満天の星が輝いていた。
人は暗闇のなかで孤独な星。
けれどその瞬きは、遠く離れた他人に見つけてもらうための、きらきら星。
星は、自分では見えない光を放ちながら孤独をさまよう。
さまよいながら、この孤独の暗闇に光を探す。
人は誰かに見つけてもらうために、 光を抱いて生まれてくるのだ。
何億光年の先からでも、たった一人を見つける事ができるように、そのために、命は輝かしい。
だから、私はあなたに云ってあげたい。
あなたが光っていてくれたから、こうして私たちは巡り合えたんだよ。ヒロ。
その光を絶やさないように、輝きを増すように、命は旅をするんだよ。
彗星のように、光の軌跡を描きながら一生を駆けていく、長い長い旅をするんだよ。
自分だけの、きらきら星を抱いて。
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