長い間、村を留守にしていた末の妹が戻ってきた。
放浪癖のある母親に代わって、長姉である自分が育ててきた妹だ。
いや、姉の厳しい扱きに四六時中弱音を吐き父親のもとに逃げ隠れしていたような妹だから、
自分が育てたというより、父が育てた、というほうが正しいのか。
いやいや、それは語弊があるな、とシオは一人眉をひそめる。
ここは下の村にある父の家だ。シオも幼少期はここで父に甘やかされて育った。
よくあるように、蝶よ花よと可愛がられ、お姫様扱いという言葉通りに大事に大事に育ててもらった。
だが、コハナの武は大輪より勇ましい、と近隣の村にも知れ渡るほどに、武勇に明け暮れる女性たちの村だ。
シオも物心ついたころには、母に習い、周囲の女性たちを打ち負かし、武でもってその地位を確立した。
今では後輩でシオに逆らう者はおらず、同期にも一目置かれている。
いや、年頃の女性たちはほどよく所帯を持ち、子供の育成に力を割いているという事情もあるのだが…
それは置いておいて
と、面白くない思考から意識をそらすように、シオは窓から外を見た。
あまりにも父が庇いだてし、それに甘えてすっかり敗者としての癖がついてしまった妹の将来を案じて、
「一人前になるまで帰ってくるな」と言い置いて、無理やり村の外に出した。
シオもよく世話になった顔なじみの冒険者の酒場に預けたので、心配することもなかったが。
(そう、私じゃなくて、父さんが心配するから)
時折、身を隠して様子を見に酒場を訪ねれば、そこの女主人は、「うーん、ちょっと今ね」と言葉を濁した。
対人関係が苦手で、争い事に向かない、内向的な妹だ。
村から出して、強引に冒険者として紹介させても、そうそううまく行くはずがないことは解っていたので、
女主人の言葉にはそれほど落胆はしなかった。
おそらく、宿の下働きでもして日を稼いでいるのだろう、と考えれば、そのまま酒場に乗り込んで引っ叩いてやろうかと
何度思ったことか。
この場合、シオが落胆しないのは、達観しているからではない。単に、落胆するより激昂してしまう性格だというだけだ。
…それを女主人になだめられて、村に戻る。
そんな往復を、幾度繰り返しただろうか。
「僧侶として他の冒険者に求められて旅に出た」…と酒場の女主人に聞かされた時は、にわかには信じられなかったものだ。
もちろん、それを望んでいた。
一人の冒険者として見知らぬ人間たちと関わり、揉まれ扱かれ、切磋琢磨しながら闘争心を目覚めさせられれば全て、思惑通り。
妹の性格を鑑みれば高望みであるような気もしていたし、周囲からはやりすぎだと非難されるのも仕方がないと思っていた。
思っていたけれど、現実に、ミオが旅に出たと聞かされて一番に思ったことは。
「よりによって僧侶かよ!!」
だった。
…うん、思ったというか、実際、その場で叫んだことなのだが。
目的や旅の工程にもよるけれど、大体においてパーティに回復役は必須だ。
僧侶などは多少腕が悪くても、宿に引き返す手間や回復薬で荷物が嵩張ることを思えば、(そう多少腕が悪くても)優先して雇われる。
雇われて、あまりの腕の悪さに解雇されたりすることもあるだろうが。
あの子はどっちだろう、と旅に出た妹を思う。
腕の悪さと効率を秤にかけ、この程度は仕方ない、と、誰かの旅に引き回されているだろうか。
それとも頻繁に解雇されて、酒場に戻ってくるという事を繰り返しているのだろうか。
どちらにしても情けない状況に、手放しでは喜べなかった、というのが親代わりとしての自分の感想だったが。
旅の仲間を引き連れて、末妹のミオが戻ってきている。
快活で口は達者そうな小娘と、へらへら弱腰でおべっか上手の男が一人、なぜか始終極限まで偉そうな男が一人。
なんだ、このパーティ。
どういう意図で集められたのか皆目見当もつかない上に、普段の交流も成り立つとは思えないちぐはぐさが気持ち悪い。
しかも、どの人間ともミオがうまく付き合えている気がしない。
村にいた頃のミオの交流関係といえば、自分と、父と、レンリという同世代の子が一人。
家族を除けば、唯一付き合えていたのがレンリという事になるが、さすが類は友を呼ぶ、というだけあって
ミオとレンリ、どちらも村では後ろ指をさされ嘲笑されるほどの、出来の悪さだった。
それを思えば、このパーティでのミオの立ち回りなどは、とうてい望ましいものではないだろう。
おそらく誰にも何も言い返せず唯々諾々と従い、体のいい回復要員として下っ端同然なのだろう事は、容易に想像がつく。
これでは、あまりにも情けなさすぎる。
村を出したのは、そんな事をさせるためじゃない。
シオは、自分の失態をこれでもかというほど、突きつけられたのだと、思った。
父にも、母にも合わせる顔がない。やはり、どんな嘲笑があってもミオは手元で育てるべきだった。
それが、一人前になるまで戻ってくるな、と突き放した妹の結末だと思っていたのに。
「あいつにあるものは、責任感と正確さだ」
と、仲間の一人が言った。
ミオが戻ってきた初日、武の村で行われた対人戦、長姉対末妹、という布陣で決着をつけた時の事。
掟に従って、敗者として村の外に追い出されたミオの仲間の様子を見に行ってみれば、二人してのんきに野宿をしていた。
その二人に、ミオが縄を解きにきた、と聞かされて驚く。
あの妹なら、勝者の女性たちに萎縮して行動を起こせないだろうとふんで、自分が縄をほどきにきたのだが、それも無駄になった。
ミオにそうさせる仲間、というものに興味があったので家に招いてみたが、拒絶された。
まあ、この年頃は虚勢をはって上等、と思ったので手を変えてみる。
下の村に行くという情報を与えてやれば、シオの思惑通り、勝手についてきた。扱いやすさでいえば、単純だ。
だからこの際、ミオと引き離してしまおうと思った。このままミオを村にとどめ置いて、仲間たちは勝手に村を出ていけばいい。
彼らが多少ごねても、力尽くならいくらでもやり様はある。現に、今彼らは敗者であるということ。
それが。
シオの真意を聞いた瞬間、彼らは敗者らしからぬ不遜さで、シオに牙をむいた。
ミオのもつ真価を解らない人間にミオを引き渡すつもりはない、そう堂々と宣告する。
ミオの真価?なんだそれは、と訝しむ間もなく、示された答え。
責任感と、正確さ。
「ミオちゃんはどんな時でも最後まで自分のやるべきことをやり遂げようとするんだよ」
「そんなこと…」
それは当然の事。それが出来ないというのは、まず人としての起点に立てていないも同然ではないか?
「それが出来ないこともあるんだよ。自分の行動で、誰かが失われる、最悪の事態になる、全てが終わる」
そんな状況を目の当たりにして竦まない人なんていないよ、と仲間の少女が言う。
それは月明かりのない道で聞かされたこともあって、ひどく、寒々しい響きに感じられる。
ミオは、このパーティは、どんな旅をしてきたというのだろう?
「誰だって失うのは怖いし、最悪を引き起こした責任を一人で背負うのは恐ろしいよ」
だから躊躇する。少しでも楽になれる方法を考えあぐね、その判断を他者に委ねることで平静を保とうとする。
無意識に、誰かに、何かに救いを求めて慟哭する究極の戦慄。それでも。
「ミオちゃんは答えを出せるんだよ。ウイたちが迷った一瞬で、答えを出してくれるの」
「しかも、それが恐ろしく精確だ」
そういった二人が、カンテラの炎に互いの姿を確認して、うなずき合ったように見えた。
「ミオちゃんはいっつも自分以外の誰かを優先するっていうか、一歩引いた立ち位置にいるっていうか」
「自分を消して常に全体を見ることができる視野の広さは、衆において何よりも貴重だ」
「お喋りだって、ゆっくりだけど、ウイたちが思いもよらないこと言ってくれたりするし」
「思慮深いのは良い。普段の何気ない状況にでも意味や意義を考えることで、緊急時に思考が停止することがない」
そういうのがミオちゃんだって解ってるから、とウイがシオのそばに駆け寄る。
「ウイたちは心底ミオちゃんを信頼してるし、すごいんだって尊敬してるよ」
だから村に連れ戻すなんて言わないで、という声は真剣そのものだ。
なるほど、ミオはないがしろにされているわけではないようだけれど、とシオはやや気圧されている自分に気付く。
こんな、10ほども年の離れた子供たちに。
「それでも」
と、シオはかるく咳払いをして、気圧されていた自分をはらい落とすように、語気を強める。
「この村では、後衛なんて地位が低いものとみなされてしまうのよ」
姉として、ミオをそんな処遇のまま預けておく気にはならない、と嘯く。
自分たちの方がよほどミオを理解している、と主張する彼らへのせめてもの抵抗だ。
解っている。しみったれたプライドだという事も。
だがそれを気にすることなく、ウイが、なーんだ、と笑った。続けて、背後から低い声が。
「そんなもの、あいつがその気になればいくらでも前衛でやれるだろ」
それは、まるでこのパーティでは当然の事であるように、「そうだよね」と、ウイもそれに同意する。
このパーティに必要なのは僧侶ではなく、ミオなのだ、という事を示すように、その後に続く会話は淀みない。
「ミオちゃんが前衛やるんだったら、ウイが僧侶になってもいいし」
「あほか!お前にだけは命預ける気にならねえよ!」
「ええー?じゃあミカちゃんが僧侶やる?ウイはそれでもいいけど」
「やれるわけないだろ、俺が!」
「え?じゃあどーする?」
「ヒロがいるだろ。あいつ、意外と僧侶に向いてると思うけどな」
「あ、それはウイも思ったことがある!なんでヒロは武闘家やってるんだろうね?」
「…盾買わなくていいからだろ…」
「あ、そっか、そういえばそんなこと言ってたよね…」
今はお金あるし頼んだらやってくれるかも、なんていう会話を背中で聞いて、シオは。
(脱力感が半端ないわ…)
と、夜道を進む。
(なんなの、この子たち)
それは、今日はもう何度目か解らないほどだけど、あきれ返るしかない。
ミオが冒険者として強く立派に振る舞えること、共に旅をしてきた自分たちが一番解っているという。
だから、今日の敗戦も自分たちにはどうでもいいことなのだ、と主張されては、ただのインチキ集団なのかと感じたり。
ミオは自分たちに絶対必要なのだ、と乞われては、たちの悪い詐欺集団のようにも思えたり。
(したけれど)
村に戻ってきたミオの成長の具合は、結果ではなく、過程なのかも知れないと思う。
不覚にも、こんな奇妙な仲間の証言で、そう思ってしまった。
村から出したこと、妹と見ず知らずの他人の手に委ねたこと、間違ってはいないと思いたいのは自己弁護ではないと言えるだろうか?
そんな複雑な思いを、唯一話せる相手、父親が戻ってきてシオは愚痴を吐く。
上の村にはミオともう一人の男を残してきている。それは自分が見張っているからいいとして。
下の村に連れてきたウイとミカの二人の様子を見張っておいてね、と、昨夜に言い置いたことを、今再び確認しに来たのだ。
「あの二人、どう?」
と、今日の様子を尋ねれば、父親はお茶を淹れてくれながら、穏やかにほほ笑む。
「いい子たちですよ。今から、シバ君のところでお昼をごちそうになるんだそうです」
気になるならシオも行ってきたらどうです?とからかわれて、「い や で す」 と一言一言区切るようにして返す。
あの家とは昔から仲が悪い。シオ自身の世代から、ミオとレンリの世代にまで一貫して、友好的関係にはない。
それにただ笑って答える父に、よく知ってるくせに、と内心で毒づいて。
あれだけミオを甘やかして、庇いだてしてきた父にしては、随分、どうでもいいように見える、とシオは父を観察する。
「ミオがリーダーなんですって」
どう思う?
「ああ、だからミオはあんなに張り切ってたんですねえ」
「それだけ?!心配じゃないの、父さん!」
ミオが村にいた時は、あれやこれやと様子を見に来ては大丈夫かと心配し、やりすぎてないかと口出ししてきたくせに。
それをシオがいうと、父は困ったように笑う。
「あの頃はミオが毎日べそかいてましたからね」
でも今のミオはとても楽しそうですよ、と言われて言葉を失う。
楽しそうだから、生き生きしているから、何も問題はないと思っていると言われたら、…返す言葉もない。
はいはいスミマセンね、毎日泣かせてたのは私ですよ。と、シオは投げやりにお茶を飲む。
「その毎日があったからこそ、ミオは村の外でも頑張れたのでしょう」
と、へそを曲げた娘に気を遣う風でもなく、自然に穏やかな声で父が続けた。
「君が、お母さんを追いかけているように、ミオも君を追いかけて強くなっていくんですよ」
そういわれて、シオは年中家を空けている母の面影を脳裏に描く。
その面影は、シオには理想だった。身近な母の強さに憧れ、母を理想像として常に意識を高く持ち続けている。
母のように世界で通用する冒険者になるために、その後姿を追ってどこへでも行ったけれど。
「そうかしら」
ミオが、この自分にそんな憧憬を抱いているようには思えない。
「毎日怒鳴られて、嫌々稽古をつけられて、無理やり冒険に連れ出されて、揚句、たった一人村を追い出されて」
と指折り数え、父を見る。
「どこにあこがれの要素がある姉でしょうね?」
その何に対する嫌味だか解らないシオの言い様に、父は破顔一笑だ。
「そういえば、ただの鬼婆ですね」
「ちょっと!婆はないでしょ、婆は!」
年頃の、いや年頃をちょっと上回っていることは認めるが、年頃の娘に対しての気遣いがない言葉に、傷つく。
それでなくても、お互い以外の人間に容赦のない双子から、行き遅れだの骨董品だの惨憺たる悪口雑言を食らうのだ。
父親ならそこのところ、ちょっと慮ってくれてもいいんじゃないの?と抗議すれば、
「いやいや、あの子たちも悪気はないんですよ」
と、毒にも薬にもならない言葉が返ってくる。
「どこが!悪意の塊でしょ?魔界から生まれ出でたる悪意の権化が奴らだ、って言われても驚きゃしないわよ」
「君もなかなか言いますねえ…」
「それだけ割りを食ってるのよ、長女なんて」
母親は常に不在で子供たちを放任し、双子はまるでいう事を聞かず好き勝手、末妹は顔を見れば逃げ回る。
それでも、この気苦労を誰かに肩代わりして欲しいと思ったことはない。それはきっと。
「わかっていますよ」
と、いつでもシオに寄り添ってくれる父の存在があるからだ。
「あの子たちも、長姉の偉大さを感じているからこそ、君に期待するんですよ」
姉を追いかけたいけれど、その高みには到底かなわないことを知って、自分たちの理想をシオに託すのだ、という。
村での名声、世界への覇権、それをもつ姉に、誰もが羨む伴侶と、子孫繁栄という完璧な理想を手に入れてほしいのだ。
「一般では優秀な姉を妬んだり仲違いすることもあるような中で、あの子たちの思いは純粋ですよ」
「…いや、ちょっと待って…」
だから悪意はないのだと言われても。
「よっぽど質が悪いようにしか思えないけど」
というシオの言葉にはただ笑って、父は穏やかにシオを見る。
「ミオも、やっとそこに到達したばかりなんでしょう」
村にいた頃は、偉大すぎる姉の影にただ隠れていれば良かったけれど、村を出たことでわかる事がある。
自身を覆っていた影、その全形を捕らえることで初めて姉を認識することになるだろう。
姉の影、それがミオにとってこれからどんな存在になるかは、まだ解らない。
「あの子は人よりちょっと遅かっただけです」
これから急成長するのかもしれないし、ここが成長の打ち止めなのかもしれないけれど。
これからです、と、シオに理解させるように放たれた言葉。
いつでも娘たちに心を砕き、それぞれの立場に寄り添ってくれる父の言葉が素直に響く。
母の代わりに家を守り、妹たちを導き、村の先頭にたって全力疾走してきたシオの、孤高にも。
いつも寄り添ってくれているのだ。
「じゃあ、うかうかしてられないわね」
と、立ち上がるシオに、父は首を傾げた。
「急成長することもあるんでしょ?」
信じがたいけれど、と、知らず笑ってしまったのは自虐なのか、優越か。
「油断していて末妹に追いつかれた、なんて笑い話にもならないわ」
それは姉として妹の潜在能力を見誤ることに他ならない。そんな失態を、己に許すわけにはいかない。
そのシオの意思をくみ取って、父は苦笑する。
「君はそろそろ、妹より自身に目を向けてもいいかと思いますよ」
「?」
自身に?もちろん、いつでも目を向けている。厳しく、妥協を許さない目を向けられるのは、自分しかいない。
「そうではなくて。…ああ、でも、そうだから結婚相手にも一切譲ることがないんですかねえ」
その発言には、あるまじきことだが、思いっきり動揺させられる。
「村にも、妹にも、自分にも、その志の高さは父としては愛おしいばかりですが」
結婚に対してまでも、そう志高くある必要はないと思いますよ、なんて言われても。
「なっ、何よ、何を言ってるのよ、私はミオに対する責任を言ってるのであって…」
そうだ。ミオがどう成長するかというこの一大事に、行き遅れだの骨董品だの関係ないではないか。
と、焦って退散しようするシオとは真逆に、座ったままの父はのんびりと振り返る。
「今では月一でくる商隊の彼くらいでしょう、随分長い間シオを気にかけてくれるのは」
ちょっとー!!シオ、心の中で、大絶叫。
どうして父が彼を知っているのか。いや、父も商隊とは懇意なのでそりゃ知っているだろうが!
いや待て、どうして自分は彼とか呼んでいるのか、あのどうでもいい朴訥とした男の事を!!!
「何それ何それ!知らないわよ、勝手に父さんの都合で話を進めないで!」
「おや、そうですか?」
「そ う で す !!」
と、話を断ち切るように一音一音渾身の力を込めて発し、それ以上会話が続かないように家を出た。
何か父の声がした気がしたが、もう扉を閉めていた。
おそるべし、父。
何もかもを見透かされ、それでもシオの望むように、とただ見守ってくれているのは知っている。
知っているからこそ、母の面影にも、妹たちにも、常に高みからの自分を見せることができる。
それ以外の自分なんていらない。
いらないのだ。
綺麗に完結、でもオマケでヒロの「面白いこと思いついた」やっちゃいます