ヒロにおやすみなさいと告げた後、自室に戻ろうとしていたミオを呼ぶ声。
「みそ子ーッ、ちょっと来なさーい!!」
この声は、双子の姉のトールだろうか?トーリだろうか?
ともあれ、ミオは急いで引き換えし、皆で食事をとる部屋へと駆け込む。
「はいっ、何でしょう!」
その部屋のテーブルには姉3人がそろっていて、ミオが顔を出したのと同時に一斉に振り返る。
知らず気おされて入り口で立ち止まるミオに、トールが手にしていた紙を突き出す。
「これこれ、どういうことよ?あんたが書いたの?!」
これこれ、が何なのかわからなくて、ミオは恐る恐る3人が囲んでいるテーブルへと近づき、その上に広げられている紙の束を見た。
「シオ姉が、モモタロちゃんから預かってきたんだって。アンタの荷物でしょ?」
と、トーリがミオのカバンを椅子から取り上げて、ミオに見えるように示す。
それは確かにミオのカバンで、テーブルの上の紙の束は、ミオが書き記してきた旅の記録だった。
「これを見てもらったらいいんだよ」
家に戻る前日、ウイがそう言ってミオの荷物にいれたものだ。
冒険者として成し遂げてきたこと、これから成さなければならないこと、それを姉にうまく説明する自信がない。
どうしても姉の前では萎縮してしまうであろうミオの不安に、ウイが提案してくれたことだ。
数々の村を訪れ多くの事件を解決した事だとか、天界の危機や地上の壊滅を救った事だとか。
それはミオの冒険者としての功績というにはおこがましく、それそのものがどのように説明していいのか解らないほどの壮大さ。
村を離れていた間の事を父や姉にどう伝えようかと悩んでいたミオに、ウイが笑った。
「ミオちゃんは、ただいま、って言うために帰るんでしょ」
そしてお土産には、この記録があればいい、と言う。
旅の間に戦ってきたモンスターたちの記録。
出没地域、外見の特徴、戦闘の特性や注意点、強さのしるし。
ヒロやミカの意見も取り入れて書き上げた記録は、今やちょっとした図鑑のようにもなった。
その出来には、「これ、どこかの書店に持ち込んで製本してもらったらベストセラー狙えるんじゃねえ?!」と
ヒロが興奮し、また何を言ってるんだかとミカがあきれ返っていたものだが。
そうか、これを見てもらえば、何を説明するまでもなく、ミオの旅路は理解されるだろう。
今の自分にはまだ、村の役に立ったとか、誰かを救ってきたとか、胸を張って言える強さはないけれど
世界をその足でめぐり、この目で確かめてきたことは間違いなく自分の力になったのだ。
ミオが恐れることなく認めてもらえる真実。
それを、ウイがシオに預けてくれた。
三人の姉が視線を向けてくる中、深呼吸を一つ、ミオはしっかりと頷いた。
「はい、皆で旅をして実際に戦ってきたモンスターの記録です!」
そのミオの返事を、長姉は無言で、双子の姉は疑わしげに声をあげて、それぞれに受け止めた。
「あ、ま、まだ完全じゃないですけど…、でも一度でも戦ったモンスターは漏らさず記録してます」
「ええー?ほんとに?ほんとにコレ、あんたら全部の地域を旅してたって事?」
前のめりにミオに食って掛かるトールを横目に、そうね、とシオが手にしていた束を机の上で綺麗に揃える。
「私が行った砂漠の島と、草原と、雪原、…確かに記憶とそう相違はないわね」
揃えた束をトールに渡せば、それを受け取って椅子に座りなおしたトールが、不満そうにそれを眺める。
「けど、シオ姉が行ったことない地域もあるんでしょ?」
と、トーリが手にしていた束をシオに差し出せば、それを受け取ったシオがミオを見る。
「竜の門を超えたの?」
火山地域の紙束を示し、どうやって?と問うてくる視線に、そうか、とミオは息をのんだ。
ウイは、世界中の事件を解決したことや人々を救ってきたことを、誰にも解ってもらえなくていいんだよ、と言っていた。
誰に話しても信じてもらえない事は、ある。ただ、自分たちが関わってきた人たちとの絆があればそれでいい。
それにそういう武勇伝は自然と伝え継がれていくものだ。「吟遊詩人さんのお仕事とっちゃかわいそうでしょ」…と。
そんな話をしていた時は、ウイらしい、軽やかにおどけた捉え方だ、とほほえましかったものだが。
この記録を見せるだけで、その地域へ入った証になる。自力で道を切り開いて来たことの、証になるのだ。
「え、っと、…話せば、長く長くなるんですが…、何から、話せば…」
壮絶だった旅路を、あの厳しかった時間を、共有していない人に解って欲しいと思うことがもう途方もない願い。
ウイのいうことは正しい。
と、思ったと同時に、トーリが「長いのいらなーい!」と声を上げる。
その声に姉たちを見れば、それはこの場の総意なのだと解った。
そんなこと言われても。手短に要点だけ、話下手な自分には難易度が高すぎる。いやそもそも要点ってなんだ。
要点。閉ざされた地域に足を踏み入れたこと。どうやって?
「じっ、自力で!実力を認められて、行ってきました!!」
その瞬間、部屋に張りつめたような沈黙。
うわー言っちゃったー…、と固まったものの、それ以上の言葉は出てこない。
三人の無言の威圧を感じながら、居心地の悪さをどれくらい味わっていただろうか。
ああそう、とシオが再び紙の束を机の上で揃えて、それを中央に置いた。
「えー、シオ姉、信じちゃう?今日の、あの戦い方見ても?」
「あれはアンタたちも十分ひどかったわよ」
後から混戦になったから有耶無耶になっただけよ、と言い放つシオに、双子の猛抗議。
「それはシオ姉があたしたちの戦い方を理解してないからだと思う!」
「そうよー、だから普段からあたしたちを旅に連れてけって言ってるでしょ?」
「まったくだよ、普段から連携できてたらあんなの瞬殺だよ」
「てことで戦犯は身勝手なシオ姉よね」
「あんたらに身勝手とか言われたくないわ!!」
長姉と双子の姉とのやり取りを見ることは稀だ。
小さい頃は姉たちといるより父といる方が多かったし、上の村で過ごすようになってもほぼ下の村に逃げ帰っていた。
そうしている間にも双子の姉たちは連れだって旅に出ていることが当たり前だったのだ。
双子の姉たちにはからかわれ苛められていた思い出しかなかったが、自分だけでなくシオにもそういう態度なのか、と
ミオが目を丸くしていると。
「まあ、いいわよ、シオ姉はいつも勝手に旅に行っちゃうんだし」
「そーよね、たまーに連れてってくれても口うるさいったらなかったし」
「アンタたち、追い出すわよ」
いいよーだ、とシオに笑ってみせると、トールがミオの方に身を乗り出した。
「もー、みそ子がいるもんねー」
え?とミオが驚くのもお構いなしに、トーリが身を寄せてくる。
「そーね、まあ昔よりは全然使える子になったわねー」
と、双子の姉にがっつり左右を固められて、ミオ自身、硬直するしかない状況で。
「攻守いけるんでしょ?賢者?いいじゃん、次はあたしらと行こうよ」
「そうよ、あたしたちが行ったことないところに、みそ子が連れてってくれるのよね?」
期待してるわよ、とニコニコ笑顔で取り入ってくる二人には言葉もない。
これはどういう状況だろう?
「いえ、あの、えっと」
と、目が泳いでいるミオを知ってか知らずか、シオが、盛大な溜息をつく。
「やめなさい」
ぴし、っとした一声に、何かを言いかけた双子を遮るように、さらに厳しい一言。
「今のアンタたちじゃ、ミオの足手まといになるだけよ」
その言葉には、双子の抗議とミオの戦慄の絶叫とが重なった。
「えええー!!!」
それに対しても、うるさい、と一言で返しておいて、アンタたちは、と続ける。
「自分の思い通りに動かない人間とはうまくやれないでしょう」
「そりゃそうでしょ!」
「勝手なことされちゃ、たまんないわよ」
その言葉に頭痛でも覚えるかのようなしぐさを見せて、シオがいうことに。
「…あのね、普通の人間は、アンタたちの思い通りになんて動かないのよ」
「そんなことないわよ?」
「私たち、息ぴったりよ?」
ととぼけた返事をして、トールとトーリは再びミオの両腕を捕まえる。
「みそ子は、当然!あたしたちの言うことは何でも聞くでしょ?」
「聞くよね、あたしたちには逆らえないもんねえ?」
「アンタたちのそれは、ミオを奴隷扱いしてるだけよ!」
「えー?下っ端はそういう扱いでしょーよ?」
「アンタたちのそういうのが、上達を妨げてるって言ってるでしょう」
「もー、またシオ姉の口うるさいのが始まったー」
そんなやり取りの合間にも、ミオはトールとトーリの言葉を考える。
それは、どうあれ、二人がミオを認めて旅の仲間に誘ってくれているということ。
そのこと自体は、信じられないほど嬉しいという思いがある。涙が出そうなほど、嬉しい。
ずっと思い描いていたこと、弱い自分が嫌いだった頃。いつか強くなって、冒険者になれるはずの未来。
シオがリーダーとしてトールとトーリを従え、世界中で名をはせる冒険者の一団に、いつか自分も加わる。
それがミオの思い描いていた、理想。
シオはきっと褒めてくれる。トールとトーリにも苛められたりせず、もう父にも心配をかけることはない。
理想、完全に完璧で最高の状況。
それは思い描くだけで素晴らしく、苦もなく労せず、望む全てが手に入る美しいもの。
けれど、どこかで思っていた。
美しくて、あまりにも美しすぎて、まるで叶うとは思えなかった。
理想とは、手に入らないもののことをいうのだと、どこかで思っていたのだ。
それを。
「ミオちゃんは、両方手に入れられたね」
ウイが、そういってくれたことがある。
村の一員として恥ずかしくない、一人前になって、世界のどこにでも行けるような冒険者になること。
それが理想だけど、できるなら静かな家の中で日がな一日布を織ったり服を縫ったりしていたいのもまた事実だ。
名立たる冒険者になるには自分の力が及ばない事、裁縫職人になるには姉たちの手前許されないこと。
どちらの理想も、対立しあっていてどっちを捨てても、きっとどちらかは叶わない気がする。
そう思っていた幼い日の頃の事を打ち明けた時、どちらも捨てなくてよかったね、とウイが言った。
「だって今、ウイたちと一緒に冒険者になれたでしょ」
世界のどこにでも行った。誰も踏み込まない土地に、土地とは言えない天界に、…想像もしなかった冒険者になった。
そして村を出てきたからこそ、自由になって。
「冒険者の合間に、好きなだけお裁縫しててもウイたち怒ったりしないでしょ」
むしろミオちゃんに色々作ってもらえてウイたち大助かり!ね?と、言ったウイは、皆が幸せだよ、と笑った。
完璧で完全で最高の理想、とは少し違っているけれど。
それが、現実。
そうだ、さっきヒロが言っていたことも、同じだ。
理想と現実は違うのだということ。理想に囚われるあまり、現実をおろそかにしてしまってはいけない。
理想を現実に近づけるのではなく、理想は高く、美しいまま。
現実を、理想に近づけるのだ。
そうすることで、見えてくるものがある。
「私…」
ミオの現実は、まだ始まったばかり。
「私、まだお姉さんたちと一緒にいけません」
「ええー?何よー、断るとかー?」
「生意気ー、なんでよー?」
「だってまだお姉さんたちをぶっ倒してないですから!」
「はあ?」
シオと、トールとトーリ、三人と一緒に世界を旅することは美しい。
コハナ村の四姉妹として一目置かれる一団になる、父には孝行ができ、村中に絶賛されるだろう。
けれど。
「私、今一緒に旅をしている人たちを尊敬してます。だから皆の力になりたいし、頼られたいです」
そんな仲間が、ミオの立場を思って、村の女性たちに下ってくれた。
まだミオがこの村では未熟で力がない、という現実を受け入れ、今はそれでいいと許してくれた結果だ。
許し、受け入れるという心は、どんな力よりも強いと思う。だからこそ、全員でこの旅を続けてこられたのだ。
「そんな人たちを、皆に強いって認めてもらいたいんです」
そのためには、ぶっ倒すしかない。この村では。
「でも今の私じゃ、まだまだだから…、だから、まだお姉さんたちと一緒に行けません」
自分の言葉は、姉たちにどれだけ心を伝えられただろう。
どんな形を選べば、この思いは届くだろう。
姉たちに認められた嬉しさと、それを断らなくてはならない痛みと。
そこに続く沈黙、それを最初に破ったのはシオだった。
「アンタは、それを私たちに認めさせて、…どうしたいの?」
「え?」
どうしたい?
それはミオも考えていなかった事。村の皆が認めてくれて、それで、自分はどうしたんだろう?
またもや言葉を失うミオを見て、シオが、下に送っていった二人は、と言葉をつづけた。
「ミオの強さは自分たちが十分わかっているから、誰に解ってもらえなくてもいい、って言ってたわよ」
他の人間は解らなくていい。それは、自分たちの功績を解ってもらわなくていい、と言っていたウイの真意に通じる。
あの二人はそう思っているのだ。それもまた、強さの表れだと思う。
では、自分は。
ゆっくりと自分の思いに向き合う。どうしたいわけじゃない。ミオも、仲間のもつ様々な形の強さはわかっている。
わかっているからこそ。
「…私の、ただの意地です」
そう、告白する。
それは少しの情けなさを含んだ感情を吐き出した言葉であったのだが。
「いいねえ!」と、トールがテーブルを叩いた。
「え?」
と、驚いてトールを見れば、そういうの好き!と、快活な笑顔を見せる。
「いいじゃん、意地。みそ子、アンタは昔っからそういうの無かったじゃん?」
それにトーリが続く。
「そうね、少なくとも昔みたいにめそめそしないで話できるんだもん」
あたしも今の方が好きよ、と、にやり、と笑ってから、意味深に続けた。
「誘いを断るくそ生意気なとことかね」
「ほんとだよ、みそ子のくせに生意気だよ」
生意気で、意地っぱりで、めそめそしない子なんて。
「もう、みそ子とか呼べないね!」
と、トールが思いっきりミオの背中をひっぱたく。
ねえ、ミオ!、という力強い声と。
ひゃあっ、という情けない悲鳴が重なった。
平手打ち一発とはいえ、旅で鳴らしてきた剛腕にくらわされた背中の痛みに、声も出ず床に這いつくばる。
それを面白そうにのぞき込んで、トーリが笑う。
「あたし達の誘いを断ったこと、後悔すればいいわ。アンタが強くなるよりあたし達が強くなるから」
「そーねー、お土産ありがとねー」
と、トールも上機嫌でモンスターの記録を、ひらひらと振って見せる。「こういうのって、後続が有利だよね?」
「…は、はい」
と、答えるしかないミオに、シオが一枚の紙を差し出した。
何だろう?とそれを受け取る。
「渡せ、って言ってたわ」
何あれ?なんであんなに偉そうなわけ?というシオの言葉で、ミカの事だとわかってしまう。
四つ折りにされた紙を開けば。
<呼び戻し不要!!>
と、美しく整っている見慣れた文字が、紙いっぱいに書かれていた。
つまり、どういうことだろう。
いや、どういうも何も、下の村で勝手にやっているからお前たちはお前たちで勝手にやれ、という事だろう。
そうか、ミカはとりあえず下の村に不満はないらしい。
それは良かった。と思いながらも、ミカとウイがいないことが気にかかることが一つ。
ヒロが思いついた「良い事」は、ミカたちがいなくて不都合ないだろうか、と考えて。
(ミカさんの分まで、私がやれば良いんだ)
それだけのことだ、と気づく。
ミカは女性と戦うことを苦手としているらしいから。
この村でそれを当たり前のこととして育ってきた自分が、ミカの分まで活躍すればいい。
皆が、そうしている。
少しずつ、助け合っている。
ミオは、その短い手紙を丁寧に折りたたんで、お守りのように手の中に包み込む。
シオがそれを見ている。トールとトーリも、ミオが何か言うのを待っている。
目線が、違う。
あの昔、見上げているばかりだった姉たちは、今ミオが並んで立つことを認めている。
理想にばかり目を向けていた小さな自分は、世界に出て、そこからやっとこの村を直視する。
村を、姉を、自分を、真正面から見て。
「ただいま帰りました」
向き合うことで、言える言葉がある。
3人の姉は、それぞれの笑顔を見せてくれた。
多分、そのあと、ぼこられた