ーあらすじー
舞台は1767年(明和4年)の仙台藩。
小さな宿場町・吉岡では、
百姓町人へ容赦ない過酷な年貢取り立てに加え、
伝馬役という重い課役を科せられていた。
その結果破産・夜逃げが相次ぎ、
その重い負担が残された者にのしかかり、
更に人が減るという、負のスパイラルにはまり
さびれ果てた。
知恵者の菅原屋 篤平治(瑛太)から
故郷の将来を案じ、
命がけの上訴まで企てた穀田屋 十三郎(阿部サダヲ)は、
宿場町復興の秘策を提案される。
それは、藩に大金を貸し付け利息を巻き上げるという、
百姓が搾取される側から搾取する側に回る逆転の発想であった。
計画が明るみに出れば打ち首確実。
千両(現在の価値で約三億円)もの大金を
宿場町の商人たちから水面下で集め資金にするという
前代未聞の戦いが始まった。
気軽に観たはずの映画に、強い衝撃を受けた。
十三郎役の阿部サダヲのちょんまげが銭という、
ふざけたいでたちの映画紹介からは想像もできない
極めてまじめな展開だった。
1773年に大願成就するが、
それまでの百姓・町人たちの暮らしぶりと
資金調達の苦闘が観る者の心に刺さる。
仙台藩主伊達重村(羽生結弦)の殿様ぶりばかりが注目された
映画宣伝であったが、あくまで話題作りで
映画の主眼は全くべつのところにあった。
「この行いを末代まで決して人様に自慢してはならない」
という「つつしみの掟」を
大肝煎(おおきもいり=最上位の村長=千坂仲内(千葉雄大))
の提案により、出資者たち自らに課しながら、
十三郎とその弟の浅野屋甚内(妻夫木聡)、
宿場町の仲間たちは、己を捨てて、
ただただ宿場の人たちのために私財を投げ打ち
悲願を達成するというストーリー。
私が驚いたのは、当時の身分制度から云って
考えられないほど高い教養と徳を
一般の百姓・町人が身に着け、実践していたこと。
自らに課した「つつしみの掟」もそうだが、
他にも‟決して馬の背に乗ってはいけない”
‟人様が担ぐ駕籠に決して乗ってはいけない”など、
陽明学を礎にした道徳を実践していた事に衝撃を受けた。
1767年と云えば、田村意次が側用人になった年。
イギリスでは産業革命が始まり、
ヨーロッパを啓蒙思想が席巻していた頃でもある。
アメリカで独立戦争が起きる前の日本では、
産業では立ち遅れ、貧しい生活に甘んじていたが、
高い精神文化を庶民に至るまで保持していたのである。
「知行合一」。
考えることと行動することが食い違ってはいけない、
思考と行動とを一貫させなければならないという陽明学の教え。
新渡戸稲造 著の『武士道』も
そのような陽明学の流れが根幹を成している。
そして日本人の根本思想として、
明治期に至るまでその教えは息づいていた。
映画の中にもそのような張り詰めた世界観が強く漂い、
観る者に現代では失ってしまっていた価値観を気づかされ、
深い感動すら覚えさせてくれた。
この映画は、より多くの日本人に観て貰うべき、
宝のような貴重な作品であると思う。
そして必要以上に自信を失ったり、
根拠の無い自負心・自尊心から
傍若無人な振る舞いをしたりしないよう、
改めて自らを律し、
行動の指針・道標のヒントを見つけてほしいし、
私も見つけたい。
RCサクセションによるエンディングテーマ『上を向いて歩こう』を聴き、
この映画は小憎らしいほど粋な映画だと思ったオヤジが一句。
オバマさん こっちに居るうち 観たらどう?
お粗末。