2011年7月 当年73歳
原子力ファミリーに騙され、翻弄され続けてきた日本
28年の歳月と高額な費用をかけて建設された「もんじゅ」も1995年5月、ナトリウム漏れを起こし、高温のナトリウムが空気中の水素や酸素と反応して烈しく燃える火災事故を起こしている。「もんじゅ」はプルトニウムを原料として消費した以上のプルトニウムを生み出す、つまり「増殖」するように設計された原子炉であって、かつては夢の原子炉と呼ばれていた。
しかし、その開発には技術的、経済的困難があり、ほとんどの国において撤退を余儀なくされているという。そんな中で、日本だけがなぜ?継続しているのだろうか。これまでの投資した費用、またその上にこれから必要とする費用を考えると、すでに断念するときを迎えているような気がしてならない。
福島第一原発において、あれだけの事故を起こしておきながら、未だに原子力は安全だと公然とおっしゃる研究者、関係者が居られることになにか空恐ろしさを覚えるばかりである。いったん事故を起こせば以後数十年にわたって冷却するしか方法はないのである。人間には、核反応を制御する能力も技術もない。それでも安全神話を作り上げ、地域住民を信じさせ、全国に54基もの原発を造ってしまった。これを推進してきたお歴々が、今も厳然と自説を曲げないのは、何たる傲慢さだろうか。
プルトニウムの再処理にしてもそうである。本家米国、カナダ等は再処理をせずに「ワンスルー方式」をとっているという。そしてプルトニウムは資産ではなくて、負債であるという認識が当たり前の世界になっているのだという。
MOX燃料を軽水炉で燃やす、いわゆるプルサーマルは,今どうなっているのだろうか。ウラン燃料とプルトニウム燃料を比べるとその毒性は10万~100万倍になるという。六ヶ所村再処理工場だって、無駄な投資だったようだ。これらすべて税金もしくは国民負担であることに腹立たしさを覚える。
「脱原発」まだ間に合いそうだ。今こそ、すべての原発を廃炉に向けて動き出すときである。それが日本国民の安心、安全を守る道筋ではないだろうか。
この際暑さも、多少の不自由さも、不便さも我慢する!当たり前のことだろう。
(注)
政治家も原子力を語るとき、これくらいの勉強はしてもらいたい。権威といわれる研究者、学者の言いなりでは、本質は見極めつかないはずである。何せ村社会を形成していて、反対するものは村八分にあっているではないか。ピーチパーチクやるだけが政治家ではないだろう。本当にむなしい。
原子力ファミリーに騙され、翻弄され続けてきた日本
28年の歳月と高額な費用をかけて建設された「もんじゅ」も1995年5月、ナトリウム漏れを起こし、高温のナトリウムが空気中の水素や酸素と反応して烈しく燃える火災事故を起こしている。「もんじゅ」はプルトニウムを原料として消費した以上のプルトニウムを生み出す、つまり「増殖」するように設計された原子炉であって、かつては夢の原子炉と呼ばれていた。
しかし、その開発には技術的、経済的困難があり、ほとんどの国において撤退を余儀なくされているという。そんな中で、日本だけがなぜ?継続しているのだろうか。これまでの投資した費用、またその上にこれから必要とする費用を考えると、すでに断念するときを迎えているような気がしてならない。
福島第一原発において、あれだけの事故を起こしておきながら、未だに原子力は安全だと公然とおっしゃる研究者、関係者が居られることになにか空恐ろしさを覚えるばかりである。いったん事故を起こせば以後数十年にわたって冷却するしか方法はないのである。人間には、核反応を制御する能力も技術もない。それでも安全神話を作り上げ、地域住民を信じさせ、全国に54基もの原発を造ってしまった。これを推進してきたお歴々が、今も厳然と自説を曲げないのは、何たる傲慢さだろうか。
プルトニウムの再処理にしてもそうである。本家米国、カナダ等は再処理をせずに「ワンスルー方式」をとっているという。そしてプルトニウムは資産ではなくて、負債であるという認識が当たり前の世界になっているのだという。
MOX燃料を軽水炉で燃やす、いわゆるプルサーマルは,今どうなっているのだろうか。ウラン燃料とプルトニウム燃料を比べるとその毒性は10万~100万倍になるという。六ヶ所村再処理工場だって、無駄な投資だったようだ。これらすべて税金もしくは国民負担であることに腹立たしさを覚える。
「脱原発」まだ間に合いそうだ。今こそ、すべての原発を廃炉に向けて動き出すときである。それが日本国民の安心、安全を守る道筋ではないだろうか。
この際暑さも、多少の不自由さも、不便さも我慢する!当たり前のことだろう。
(注)
政治家も原子力を語るとき、これくらいの勉強はしてもらいたい。権威といわれる研究者、学者の言いなりでは、本質は見極めつかないはずである。何せ村社会を形成していて、反対するものは村八分にあっているではないか。ピーチパーチクやるだけが政治家ではないだろう。本当にむなしい。