いま、中野孝次著「清貧の思想」を読んでいる。なかなか面白い内容なのだが遅々として読み進めないでいる。というのも私の習性で同時に5~6冊の本を同時進行させている関係からどうしても読む時間に偏りが出てしまうからだ。
ところで、その清貧の思想の中に良寛さんの生き方について書いてあるのだが、こんな生き方ができるのであればそうしたいと思うけれども、なかなかまねのできるものではない。ただ、その根底にある思想というか宗教的考え方というものは取り入れることはできるはずだ。
これまで、世の不浄、善悪、矛盾、いさかい等など気になって仕方がなく新聞、雑誌等への投稿或はモニターアンケートなどへの回答などで意見を書いてきたが、その根底にある正義感とやらを改めてみようと思った。
意見をするということは自分が正しいと思うからだろう。自分は間違いを起こさないと思うからだろう。しかし、人間誰だって間違いは起こす。懲りない面々は何度でもやるだろう。それはそれでいいではないか。単なる無関心ではなく、人それぞれ生き方がある。それを認めてやればいいではないか。ただし、法治国家である以上法律はきちんと守ってのことなのだが。
どこまで完遂できるかどうかわからないけれども、ゆったり大河の流れのように生きていければ最高だろう。些細なことに目くじらを立てるのは止めることにした。
ところで、その清貧の思想の中に良寛さんの生き方について書いてあるのだが、こんな生き方ができるのであればそうしたいと思うけれども、なかなかまねのできるものではない。ただ、その根底にある思想というか宗教的考え方というものは取り入れることはできるはずだ。
これまで、世の不浄、善悪、矛盾、いさかい等など気になって仕方がなく新聞、雑誌等への投稿或はモニターアンケートなどへの回答などで意見を書いてきたが、その根底にある正義感とやらを改めてみようと思った。
意見をするということは自分が正しいと思うからだろう。自分は間違いを起こさないと思うからだろう。しかし、人間誰だって間違いは起こす。懲りない面々は何度でもやるだろう。それはそれでいいではないか。単なる無関心ではなく、人それぞれ生き方がある。それを認めてやればいいではないか。ただし、法治国家である以上法律はきちんと守ってのことなのだが。
どこまで完遂できるかどうかわからないけれども、ゆったり大河の流れのように生きていければ最高だろう。些細なことに目くじらを立てるのは止めることにした。