ついにその日が来てしまった…。
先月・10/4、球団から育成の濱田達郎投手に対して、来季の契約を結ばないと通達があった。
決して満足いくプロ野球生活ではなかったかもしれないが、一瞬でも眩しいくらいの活躍を魅せてくれてありがとう。
記憶にも記録にも残った試合は2014年・5/7のタイガース戦(ナゴヤドーム)、1軍初先発で完封勝利を挙げた。
予告先発の川上憲伸投手がぎっくり腰で登板回避し巡ってきたマウンドで躍動した。
プロ初先発で初勝利&初完封。9回6安打11奪三振の力投。
スクランブル登坂の濱田(当時19才)は大仕事をやってのけた。その後、デビューから無傷の3連勝。先発では87年、近藤真市さん以来27年ぶりだった。
その後、無傷の4連勝はあっぱれ。
そこから波乱の連続だった。16年のオフに左肘にメスを入れると、血行障害などが重なり17年オフから育成契約となり、19年オフに支配下に復帰。昨季の春期キャンプで右足首を負傷し、靭帯縫合術を受けリハビリを続けていたが、11月に同箇所の癒着部分のクリーニング手術など、以来計6回手術を受けた。育成選手として迎えた今季は4/9のソフトバンク3軍との練習試合で7ヶ月ぶりの実戦復帰を果たしたが、その後は昨季手術した右足の状態が上がらなかった。
地元・愛工大名電のエースとして2年秋、明治神宮大会で準優勝。3年春のセンバツでもベスト8入りを果たすなど、スリークォーターから繰り出す140キロ中盤のキレのあるストレートと120キロ前半のスライダーで翻弄する投球は超高校級だった。エンジェルスの大谷、タイガースの藤浪とともに〝高校ビック3〟とうたわれたサウスポー。
2013年、ドラゴンズからドラフト2位指名を受け入団。
プロ2年目には完封勝利を含む5勝をマークするも、それが最後となった。
通算28試合登板、5勝7敗防御率5.16にとどまった。
故障続きで育成―支配下を繰り返した10年間のプロ生活を「手術は計6回。故障続きで苦しかった。球団に待ってもらったという思いが強いので感謝しかありません。」と振り返った。
今後、第二の人生についてどうするのか?今のところ球団に残ることは考えてない様です。
何かしら野球に携わること、出来れば濱ちゃんのケガに泣いた野球人生(才能溢れた選手がケガしない為の)を野球を志す子供たちへ伝えていければ良いんではないでしょうか。
中学からボーイズリーグで活躍。その後名門・愛工大名電に入学し1年生の秋からベンチ入り、エース番号の#1。2年生秋の明治神宮大会で決勝まで一人で投げ抜いた。
3年生、春のセンバツは無四球完封勝利など準々決勝まで勝ち進んだが、夏は1回戦敗退となった。この時期(3年生)から左腕の肘肩は悲鳴を上げてた…。強豪校の宿命か、公式戦だけではなく彼目当ての練習試合の依頼も多く、投げないわけにはいかなかったと聞く。プロ入団後、左肩の不安を抱えながら2年目、負担の少ないフォームをスリークォーターに戻すと制球が安定。1軍に昇格しデビューを果たした。そしてチームの緊急事態に初先発初勝利すると、破竹の先発3連勝となった。
その後はドラファンならご存知の通り…。1軍で活躍するどころかファームの実践試合出場もままならないケガの繰り返しは、野球の練習とは程遠い手術やリハビリばかりの練習となってしまった。悔しさやもどかしさ苦痛苦悩と戦い汗にまみれたプロ野球生活でした。
本当にお疲れ様でした。
まずはゆっくり体を休め、第2の人生設計スタートさせて下さい。
そんな汗と涙が染み込んだ練習着を頂きました。