Xデーは何の前ぶれもなく突然やって来た。
“ベルリンの壁が崩壊した様な・・・”。
令和2年2月27日、中日ドラゴンズにとって歴史が動いた日となった。
「白井オーナー退任。」この一報が突然飛び込んできた。
20年間、実権を握り続け黄金期も暗黒期も名物オーナーとして名馳せた白井オーナーは92歳、身を引くには遅きに失した感わ否めないが、先ずもってお疲れ様でした。
中日新聞親会社の人事は3.9月が通例だったはず。この時期の発表は異例であった。
『中日球団の決算取締役会が2/27に行われ、白井文吾オーナー(92)が3/27の株主総会をもって退任し、名誉オーナーに就任することが内定。
新オーナーには大島宇一郎オーナー代行(55)が就任すると発表があった。』
[本日(3/25)=中日は25日、中日新聞社(名古屋市中区)で第69期定時株主総会を開催しあ。任期満了に伴う取締役の選任が行われた、下記の通り取締役の異動が発表された。
総会後の定例取締役会において大島宇一郎取締役オーナー代行(55=中日新聞社代表取締役社長)が新たに代表取締役オーナーに正式に就任した。
白井文吾オーナー(92)は名誉オーナーに就任した。(いずれも3月25日付)]
白井オーナー(小山派)は2000年3月に就任し20年間は歴代最長。2003年オフに落合博満氏を監督に招聘し、8シーズンで4度のリーグ制覇を達成するなど黄金時代を築いた。
大島新オーナー(大島派)は早稲田大政治経済学部を卒業し、1987年に中日新聞社に入社。東京本社政治部、アメリカ総局、管理局人事部長などを経て2013年に取締役管理局長、15年に常務東京本社代表となり、17年6月に社長に就いた。球団にとって13代目のオーナーとなる。
*大島宇一郎新オーナーコメント。
「現白井文吾オーナーから中日ドラゴンズのオーナーを引き継ぐことになりました。ドラゴンズと言えば、プロ野球界だけでなく、名古屋を中心とした中部地方の顔。その球団の運営に携わらせていただけますことは、光栄であると同時に、重責を担うことに対して身の引き締まる思いです。近年チームの成績はやや低迷しておりますが、与田剛監督の新体制に移行して初年度はさまざまな面で成長が見られました。進化を遂げつつあるチームをいっそう盛り上げ、強いドラゴンズを復活させていくため、フロントも新しい体制で、与田監督をはじめ選手、コーチらとともに活気あるチームづくりに取り組んで参ります。」
21年ぶりに政権が小山派から大島派に移行されることになる。
9年前、大島派はご存知ガッツポ坂井球団社長によるクーデターを企て、当時の落合監督を解任させるも、2年後には小山派白井オーナー主導により落合GM・谷繁監督の新体制構築により大島派は一掃されることとなった。
いまだに“小山派”と“大島派”がお互い足を引っ張り合っている。
時の球団オーナーや球団社長は、自分の時にチームが強ければそれが自分の評価になる。だが、自分の時に築き上げたものを後継には残したくない譲りたくないなど、派閥争いは今でも続いている様に思う。
中日新聞社の露骨な派閥争いを語る上で故・星野仙一氏の第一・次第二次政権の経緯は外せない。
故・星野氏は言わずと知れた大島派であった。
【第一次政権(1987~1991)】
加藤巳一郎オーナー(小山派)中山了球団社長(小山派)の体制。
加藤オーナーは小山派でありながら星野監督と良好な関係があった様で、星野監督のやりたい様にやらせた。また、星野監督が大島派だった事もあり大島派の協力も得られた。
敢行したチーム改革は小山派よりの選手の放出だった。
谷沢(小山派)→引退勧告
牛島(大島派)など→ロッテ⇔落合
大島康(小山派)→日ハムトレード⇔田中富.大宮
平野(小山派)→西武トレード⇔小野
中尾(小山派)→讀賣トレード⇔西本
など。
【第二次政権(1996~2001)】
大島宏彦オーナー(大島派)佐藤毅球団社長(大島派)の体制。
堅実経営の大島派は、第一次政権の様な積極的な補強はできなかった。
敢行したチーム改革は
日ハムからFA獲得⇔武田
仁村徹、酒井、山本保→ロッテトレード⇔前田、平沼、樋口
大豊、矢野→阪神トレード⇔関川、久慈
門倉、古池、東瀬→近鉄トレード⇔小池、佐野、善村
など。
星野監督に逆風が吹き始めたのは…。
00年、加藤オーナーの天敵で同じ小山派の白井氏が新オーナーとなった。
また、01年限りで佐藤毅球団社長の辞任が決まると後ろ盾をなくし、球団内での力を失い、急速に星野降ろしが起こり辞任に追い込まれた。
星野監督は成績不振と長期政権は好ましくないと、辞任の理由を挙げたが実際はこうした派閥争いの影響も大きかったはず!?
時は経て2018年1/4、“星野氏死去”と突如の悲しい知らせが飛び込んできた…。
中日、阪神、楽天と監督としてリーグ優勝へ導いてくれた星野氏に対しても、現中日白井オーナーは、星野氏お別れの会でも消極的だった。
3/19、東京都内で行われたお別れの会は、楽天の三木谷浩史会長兼オーナーが発起人となり開催。3/26楽天は背番号77を永久欠番とすることを決めたと発表した。
3/28、大阪市内で行われたお別れの会は、阪神の坂井信也オーナーが発起人となり、楽天と同様に積極的に行われた。
しかし中日は2/24、名古屋市内で行われたお別れの会は、白井文吾オーナーではなく、後援会が主催し愛知県知事の大村秀章氏が発起人代表となった。
白井オーナーは出席すらしていない…。
それにしても、何故これほどまでに白井オーナーは星野氏を嫌うのか。別の中日新聞関係者が解説する。
一つは、
「白井オーナーとベッタリの落合博満元監督の存在が大きい。落合さんは監督時代からずっとドラゴンズから星野色を消すようオーナーに囁いており、それが今でも続いているのでしょう。」
二つ目は、
「白井オーナーの天敵だった加藤巳一郎氏(故人)が寵愛したのが星野さんだったんです。それもあって、オーナーは今も星野さんのことを嫌っているのだはないか」
※デイリー新潮記事より
星野色を一掃した中日小山派。
落合色を一掃した中日大島派。
中日新聞社の派閥争いは露骨で醜い・・・。
【最後に】
今後のチーム組織運営は?
大島宇一郎オーナー(大島派)
矢野博也球団社長(大島派)
壁谷浩和営業本部長(多分?大島派)
加藤宏幸球団代表(多分?大島派)
中日球団の重役ポストが全て大島派に一新される。
小山派の白井オーナーは今後、一線を退いて名誉オーナーになるという。
そこでファンとして気になるのは白井オーナー退任後のチームへの影響。
満を持してあの有力OBの現場復帰はあるのかということ。
これでいよいよ現実味を帯びてくるのが「ミスタードラゴンズ」こと、立浪和義氏(50)の現場復帰だ。
気運が高まってくることは間違いない。
立浪氏は、1987年にドラフト1位で入団、中日一筋22年。竜の不動のレギュラーとして活躍した。現役通算2480安打、1037打点、171本塁打、打率・285。487の二塁打はいまも破られないNPB記録。
そんな地元名古屋が誇るスター選手でありながら、2009年に引退してからは一度もユニホームを着ていない。
「かつての立浪さんは派手な女性関係をはじめスキャンダルが多かった。現役時代に球団フロントが、『君も将来の幹部候補なんだから、少しは身を慎まないといけない』と注意したが、その後もいろいろと週刊誌をにぎわせた。そんな立浪さんに対して白井オーナーは『オレの目の黒いうちは、絶対にユニホームを着させん!』と激怒したといわれている。それでも、立浪さんは球団OB内でも人望があり、『監督になってくれ』と推す声も多い。白井さんが退任するのであれば、いよいよ現場復帰の流れになるのではないか」(スポーツ紙記者)
立浪氏は今キャンプ中、2年目の根尾に打撃指導を行ったことが話題になった。これは与田監督が立浪氏に直々にお願いし、実現したもの。ミスタードラゴンズの手腕に期待している者が多い証左でもある。
与田監督は今年が3年契約の2年目。早ければ2022年にも「立浪監督」誕生となるかもしれない。
Coming Soon立浪和義。