今朝からのTVニュースは,静岡県にある原子力発電所を停めるとかいう問題。
ん・・・難しい問題・・・
先日訪ねた和歌山県湯浅町,JR湯浅駅から歩いて少しのところに深専寺があり、その山門入り口の左側にこの「大地震津なみ心え之記」と書かれた碑があった。
嘉永7年(安政元年・1854年)11月4日(新暦12月24日)の「安政東海地震」(M8.4)とその32時間後の「安政南海地震」(M8.4)が連続して和歌山を襲った。
強烈な揺れを繰り返し、ついには、ここ湯浅地区や隣町の広村も大きな津波に襲われた。
地震発生2年後、安政三年、深専寺住職善徴上人(承空上人)の代にこの碑が建立されたという。全文528文字は平易な仮名交じり文。
嘉永七年六月十四日夜八ッ時下り大地震ゆり出し翌十五日まで三十一二度ゆりそれより 小地震日としてゆらざることなし 二十五日頃ゆりやミ人心おだやかになりしニ同年十一月四日晴天四ッ時大地震凡半時ばかり瓦落柱ねぢれたる家も多し 川口より来たることおびただしかりとも其日もことなく暮て 翌五日昼七ッ時きのふよりつよき地震にて 未申のかた海鳴こと三四度見るうち海のおもて山のごとくもりあがり 津波といふやうな高波うちあげ北川南川原へ大木大石をさかまき 家 蔵 船みぢんニ砕き高波おし来たる勢ひすさまじくおそろし なんといはんかたなし これより先地震をのがれんため濱へ逃 あるひハ舟にのり又ハ北川南川筋へ逃たる人のあやうきめにあひ 溺死の人もすくなからず すでに百五十年前宝永四年乃地震にも濱邊へにげて津波に死せし人のあまた有しとなん聞つたふ人もまれまれになり 行ものなれハこの碑を建置ものそかし 又昔よりつたへいふ井戸の水のへり あるひハ津波有へき印なりといへれども この折には井の水乃へりもにごりもせざりし さすれハ井水の増減によらずこの後萬一大地震ゆることあらハ 火用心をいたし津波もよせ来へしと心え かならず濱邊川筋へ逃ゆかず 深専寺門前を東へ通り天神山へ立のくべし 恵空一菴書
碑文は、大地震の概要を記すとともに、
「昔からの言い伝えによると、井戸の水が減ったり、濁ったりすると津波が起こる前兆であるというが、今回(嘉永七年)の地震の時は、井戸の水は減りも濁りもしなかった。 そうであるとすれば、井戸水の増減などにかかわらず、今後万一、地震が起これば、火の用心をして、その上、津波が押し寄せてくるものと考え、絶対に浜辺や川筋に逃げず、この深専寺の門前を通って東へと向い、天神山の方へ逃げること」
と具体的な避難経路を示し、また、言い伝えだけにとらわれないようにと、後の人を戒めたものやった。
先人の教えを大切にしたいもんや。
ん・・・難しい問題・・・
先日訪ねた和歌山県湯浅町,JR湯浅駅から歩いて少しのところに深専寺があり、その山門入り口の左側にこの「大地震津なみ心え之記」と書かれた碑があった。
嘉永7年(安政元年・1854年)11月4日(新暦12月24日)の「安政東海地震」(M8.4)とその32時間後の「安政南海地震」(M8.4)が連続して和歌山を襲った。
強烈な揺れを繰り返し、ついには、ここ湯浅地区や隣町の広村も大きな津波に襲われた。
地震発生2年後、安政三年、深専寺住職善徴上人(承空上人)の代にこの碑が建立されたという。全文528文字は平易な仮名交じり文。
嘉永七年六月十四日夜八ッ時下り大地震ゆり出し翌十五日まで三十一二度ゆりそれより 小地震日としてゆらざることなし 二十五日頃ゆりやミ人心おだやかになりしニ同年十一月四日晴天四ッ時大地震凡半時ばかり瓦落柱ねぢれたる家も多し 川口より来たることおびただしかりとも其日もことなく暮て 翌五日昼七ッ時きのふよりつよき地震にて 未申のかた海鳴こと三四度見るうち海のおもて山のごとくもりあがり 津波といふやうな高波うちあげ北川南川原へ大木大石をさかまき 家 蔵 船みぢんニ砕き高波おし来たる勢ひすさまじくおそろし なんといはんかたなし これより先地震をのがれんため濱へ逃 あるひハ舟にのり又ハ北川南川筋へ逃たる人のあやうきめにあひ 溺死の人もすくなからず すでに百五十年前宝永四年乃地震にも濱邊へにげて津波に死せし人のあまた有しとなん聞つたふ人もまれまれになり 行ものなれハこの碑を建置ものそかし 又昔よりつたへいふ井戸の水のへり あるひハ津波有へき印なりといへれども この折には井の水乃へりもにごりもせざりし さすれハ井水の増減によらずこの後萬一大地震ゆることあらハ 火用心をいたし津波もよせ来へしと心え かならず濱邊川筋へ逃ゆかず 深専寺門前を東へ通り天神山へ立のくべし 恵空一菴書
碑文は、大地震の概要を記すとともに、
「昔からの言い伝えによると、井戸の水が減ったり、濁ったりすると津波が起こる前兆であるというが、今回(嘉永七年)の地震の時は、井戸の水は減りも濁りもしなかった。 そうであるとすれば、井戸水の増減などにかかわらず、今後万一、地震が起これば、火の用心をして、その上、津波が押し寄せてくるものと考え、絶対に浜辺や川筋に逃げず、この深専寺の門前を通って東へと向い、天神山の方へ逃げること」
と具体的な避難経路を示し、また、言い伝えだけにとらわれないようにと、後の人を戒めたものやった。
先人の教えを大切にしたいもんや。
地球の表面はいくつかのプレートで出来ているそうです。
そのプレートの中央部では地震は発生しない。
だから,鉄筋を入れずにレンガを積んだだけでもビルを建てることができる。
地震や火山があるのはプレートの周辺部。
日本は地震と火山の国。
そんなこと,ず~っと前から分かっていることなんですけどねぇ・・・
精華町には“私のしごと館”や“国立国会図書館”がありましたね。
南北に通じる道路を南へ行くと奈良市押熊の交差点。
私の従兄弟の家も県境を挟んでその周辺にあるのです。
新興住宅地も便利でいいですが,のどかな田舎暮らしもいいですよ~!
そうですねぇ~
釣りをしていて津波が来ると・・・
先日も釣りをしながら,そんな想像をしてしまいました。
数日前にラジオでアメリカで同じ型の原子炉が大丈夫だったと聞きました。竜巻で送電がストップしても、十分以上の自家発電が働いたそうです。
これでもかの安全装置を施してもらいたいです。耐用年数が来たら、その時は他の発電に切り替えてもらいましょう。とはいえ、省エネと言っても原発に頼ってる部分は多いと思います。
津波テンデンコをこの地震で知りました。大丈夫と思ってもより高いところへですね。
ありがとうございます。
PCって便利ですね、京都の情報・奈良の知識を県境の私が同時に得られるのですから。
私の住まいは精華町側になります。
駅から一番遠く、田舎の癖に固定資産税が高く年金暮らしになれば支払えないのです。
家の守も出来ないので5年前から売却を試みているのですが。。。。
おっととが煮えきらず今に至ります。
我慢ならずJRならの近くに中古の長屋の中の一軒を息子と買い手作りリフォームしましたが。
今は、節約の為此処に住んでいます。
私はどちらかと言えば猪より家中にいるゴキブリ
や、名前を言うのもオゾマシイ小動物が苦手です。
ってか、だだいっ嫌いなんです。トホホ(>_<)