
紀ノ川沿いを下ったのは3月末。
まだ桜は咲いていなかった。
あれから3週間・・・
この雨で、桜は終わり???
あの日、和歌山の“妹背山”を通過した。
立ち寄ったのは、その紀ノ川の中州にある島“船岡山”やった。

万葉集には、かつらぎ町の「背の山・妹の山(妹背の山)」が15首も詠まれている。
これは万葉集では、茨城県の筑波山の25首に次いで2番目に多い歌数。

万葉時代をはじめ古代には、女性からみて愛しい人(夫・恋)を「背(せ)」、男性からは「妹(いも)」と呼んだという。
遠くふるさとに愛する人を残し、その人を恋しく思いながらの異国での旅の途中、仲良く並んでいる妹背の山を見て「羨ましいことよ」と歌っている。

今からおよそ1350年前「大化の改新」の詔によって、畿内国の南限(朝廷が治める国の南の境)が兄山(かつらぎ町の背山)と定められたともいう。

@船岡山
紀の川に浮かぶ小島で、中山とも呼ばれている。平安時代、関白藤原頼道が高野参詣の帰途、この地で舟遊びを楽しんだことでも知られている。
昭和50年代、紀の川の水防対策工事のため発掘調査が行われた際、南岸の斜面で弥生時代の竪穴住居遺跡などが検出されたが、この遺跡は護岸工事により現存しない。
昭和63年春、船岡山の南側に長さ80メートルの吊り橋が架けられた。この橋を渡って、弁財天を祭る厳島神社を参詣したあと、島内一周の遊歩道を散策しながら、さわやかな
川風と森林浴を楽しめる。
まだ桜は咲いていなかった。
あれから3週間・・・
この雨で、桜は終わり???
あの日、和歌山の“妹背山”を通過した。
立ち寄ったのは、その紀ノ川の中州にある島“船岡山”やった。

万葉集には、かつらぎ町の「背の山・妹の山(妹背の山)」が15首も詠まれている。
これは万葉集では、茨城県の筑波山の25首に次いで2番目に多い歌数。

万葉時代をはじめ古代には、女性からみて愛しい人(夫・恋)を「背(せ)」、男性からは「妹(いも)」と呼んだという。
遠くふるさとに愛する人を残し、その人を恋しく思いながらの異国での旅の途中、仲良く並んでいる妹背の山を見て「羨ましいことよ」と歌っている。

今からおよそ1350年前「大化の改新」の詔によって、畿内国の南限(朝廷が治める国の南の境)が兄山(かつらぎ町の背山)と定められたともいう。

@船岡山
紀の川に浮かぶ小島で、中山とも呼ばれている。平安時代、関白藤原頼道が高野参詣の帰途、この地で舟遊びを楽しんだことでも知られている。
昭和50年代、紀の川の水防対策工事のため発掘調査が行われた際、南岸の斜面で弥生時代の竪穴住居遺跡などが検出されたが、この遺跡は護岸工事により現存しない。
昭和63年春、船岡山の南側に長さ80メートルの吊り橋が架けられた。この橋を渡って、弁財天を祭る厳島神社を参詣したあと、島内一周の遊歩道を散策しながら、さわやかな
川風と森林浴を楽しめる。
筑波山、懐かしいです!
筑波山の麓で40日ほど過ごしたことがありました。
妹と芋と・・・
似(煮)てるかなぁ???