天香具山の山頂にあった國常立神社をお参りし、手水の上のお供えの余韻に浸りながら登った道とは異なる道を東南方向へと下山した。
山頂の神は“雨の龍王”、雨乞いのお供えだったのだ。
下山した山裾の森林と畑との境目にあった小さな祠は「伊弉冊(いざなみ)神社」。
最初はその漢字が読めなくて・・・
解説板のフリガナを読んで納得した。
「イザナミ」にも、いろんな書き方があるんや なぁ~
「伊弉冉、伊邪那美、伊弉弥・・・」
たしか「イザナミ」は、国産み、神産みをおこなった神。
ところが、火の神である迦具土神を出産したためイザナミの女陰が焼けてしまい、イザナミは病気になった。イザナミは病に苦しみながらも吐瀉物などから次々と神を生んでいったそうだ。
私はなぜか、その後のことが気になったので調べてみた。
「イザナギ」は、「イザナミ」の死に涕泣した。
その涙から神がまた生まれた。
その神の名は「泣澤女(なきさわめ)」・・・
「泣澤女」?って、私、昔どこかで出会ったことがある。
あれは・・・一昨年の秋・・・
場所は確か・・・
天香具山の西麓、奈良文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部の建物の北側の神社の杜の中やった。
秋の夕方でもう薄暗くって・・・なにか寂しい雰囲気が漂って・・・
思わず泣き出したくなるような感じがしたのを覚えている。
その神社の名前を調べたら、畝尾都多本(うねびつたもと)神社だった。
その解説には、
ここは「泣澤女神の杜」で、祭神の泣澤女神は、古事記によると国生みの最後の段階で伊邪那美命が火の神を生んで陰部を焼いて亡くなったのを、父の伊邪那岐命が悲しんで泣いた涙から生まれた女神で、696年(持統天皇10年)7月10日高市皇子が亡くなった時、桧隈皇女(ひのくまノおほきみ)が詠った万葉碑が境内にある。
哭沢(なきさわ)の神社(もり)に神酒(みわ)据え祈れども我が大君は高日知らしぬ
巻2-202
天香具山を挟んで「イザナギ」、「イザナミ」神社と「泣澤女」神社があるって、まさに古事記の世界やなぁ~この山は・・・
今日はこれから、アマテラスさんのいる伊勢志摩へ旨いもん食べに行ってきます!
「写真;㊤國常立神社の供え物
㊥伊弉冊神社
㊦畝尾都多本神社 」
山頂の神は“雨の龍王”、雨乞いのお供えだったのだ。
下山した山裾の森林と畑との境目にあった小さな祠は「伊弉冊(いざなみ)神社」。
最初はその漢字が読めなくて・・・
解説板のフリガナを読んで納得した。
「イザナミ」にも、いろんな書き方があるんや なぁ~
「伊弉冉、伊邪那美、伊弉弥・・・」
たしか「イザナミ」は、国産み、神産みをおこなった神。
ところが、火の神である迦具土神を出産したためイザナミの女陰が焼けてしまい、イザナミは病気になった。イザナミは病に苦しみながらも吐瀉物などから次々と神を生んでいったそうだ。
私はなぜか、その後のことが気になったので調べてみた。
「イザナギ」は、「イザナミ」の死に涕泣した。
その涙から神がまた生まれた。
その神の名は「泣澤女(なきさわめ)」・・・
「泣澤女」?って、私、昔どこかで出会ったことがある。
あれは・・・一昨年の秋・・・
場所は確か・・・
天香具山の西麓、奈良文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部の建物の北側の神社の杜の中やった。
秋の夕方でもう薄暗くって・・・なにか寂しい雰囲気が漂って・・・
思わず泣き出したくなるような感じがしたのを覚えている。
その神社の名前を調べたら、畝尾都多本(うねびつたもと)神社だった。
その解説には、
ここは「泣澤女神の杜」で、祭神の泣澤女神は、古事記によると国生みの最後の段階で伊邪那美命が火の神を生んで陰部を焼いて亡くなったのを、父の伊邪那岐命が悲しんで泣いた涙から生まれた女神で、696年(持統天皇10年)7月10日高市皇子が亡くなった時、桧隈皇女(ひのくまノおほきみ)が詠った万葉碑が境内にある。
哭沢(なきさわ)の神社(もり)に神酒(みわ)据え祈れども我が大君は高日知らしぬ
巻2-202
天香具山を挟んで「イザナギ」、「イザナミ」神社と「泣澤女」神社があるって、まさに古事記の世界やなぁ~この山は・・・
今日はこれから、アマテラスさんのいる伊勢志摩へ旨いもん食べに行ってきます!
「写真;㊤國常立神社の供え物
㊥伊弉冊神社
㊦畝尾都多本神社 」
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