大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

霊山寺

2010年03月21日 | 奈良市
以前紹介したが,N盆地の南東に「鳥見(とみ)山」がある。
その鳥見山の西麓に鎮座するのが「等彌(とみ)神社」。
県内に「とみ」という地名は幾箇所かあって,N盆地の北西にも「とみ」と呼ばれる地がある。
先日,私が訪ねた奈良市にあるバラ園で有名な「霊山寺」。
(四国八十八ヶ所遍路にも,たしか同じ名前のお寺があった 。)
このお寺も大和十三佛霊場のひとつ。
この霊山寺の所在する「富雄(とみお)」の里も、古事記には「登美」、日本書紀では「鳥見」の地と云われている。
お寺の前を流れている川の名前も「富雄川」。 
受付へ行って驚いた!
このお寺には,バラ園の他にレストラン,お風呂とゴルフ練習場まであるんや!。
霊山寺の縁起は,HPによると,
【敏達天皇の頃より、この地方は小野家の領有でした。右大臣小野富人(遣隋使・小野妹子の息子と伝わる)は壬申の乱に関 与したため、弘文元年(672)官を辞し、登美山に閑居しました。天武12年(684)4月5日より21日間熊野本宮に参籠。この間に薬師如来を感得され、登美山に薬草湯屋を建て、薬師三尊仏を祀って諸人の病を治されました。そして富人は 鼻高仙人と称され尊崇されたのです。
神亀5年(728)流星が宮中に落下し、大騒ぎになり孝謙皇女が征中の病(ノイローゼ)にかかられた時、聖武天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ、湯屋の薬師如来を祈念すれば治るとのお告げがあり、すぐに行基菩薩が代参。皇女の病が快癒しました。天平6年(734)聖武天皇は行基菩薩に大堂の建立を勅命。天平8年8月インドバラモン僧、菩提僊那が来日され、登美山の地相が霊鷲山(りょうじゅせん)にそっくりということから、寺の名称を霊山寺(りょうせんじ)と奏上され、落慶となりました。
平安時代、弘法大師が来寺され、登美山に力の強い龍神様がおられると感得され、奥の院に大辯財天女尊(弁天さん)として祀られました。それまで当寺は法相宗でしたが、弘法大師が真言宗を伝えられ、以後は法相宗と真言宗の2宗兼学の寺となりました。】
お風呂の歴史は分かったけれど,ゴルフ練習場のことは分からへんかった・・・
「写真;霊山寺受付にあった札」
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