“風の森”の道標から少し行くと“高鴨神社”があった。
御所市内に「かも」と名のつく地名は多く、北は鴨都波神社のある旧御所町から南は鴨神の集落までの広い範囲に分布している。
弥生中期、鴨族の一部はこの丘陵から大和平野の西南端今の御所市に移り、葛城川の岸辺に鴨都波神社をまつって水稲生活をはじめた。
また東持田の地に移った一派も葛木御歳神社を中心に、同じく水稲耕作に入った。
そのため一般に本社を上鴨社、御歳神社を中鴨社、鴨都波神社を下鴨社と呼ぶようになったが、当地は鴨氏一族の発祥の地であり、その氏神として祀られたものである。
このほか鴨の一族はひろく全国に分布し、その地で鴨族の神を祀った。賀茂(加茂・賀毛)を郡名にするものが安芸・播磨・美濃・三河・佐渡の国にみられ、郷村名にいたっては数十におよぶ。中でも京都の賀茂大社は有名で、本社はそれら賀茂社の総社にあたる。
本殿は室町時代の三間社流造りで、国の重要文化財に指定されている。
祭神は天孫降臨神話の国譲りに登場する神で、大己貴命(大国主命)の子で迦毛大御神とも称され、「葛木の鴨の神奈備」に座し、皇孫の守護をした神。
また、ここは日本サクラ草の名所で、その種類の多さには定評がある。4月から5月にかけて見ごろで二千鉢以上の花が咲き誇る。
『日本書紀』によると、八咫烏(やたがらす)が、神武天皇を熊野から大和へ道案内したことが記されている。そして神武・綏靖・安寧の三帝は鴨族の主長の娘を后とされ、葛城山麓に葛城王朝の基礎をつくられた。
この王朝は大和・河内・紀伊・山城・丹波・吉備の諸国を支配するまでに発展したが、わずか九代で終わり、三輪山麓に発祥した崇神天皇にはじまる大和朝廷によって滅亡した。
こうした建国の歴史にまつわる由緒ある土地のため、鴨族の神々の御活躍は神話の中で大きく物語られている。
高天原から皇室の御祖先である瓊々杵(ににぎ)尊がこの国土に降臨される天孫降臨の説話は、日本神話のピークであるが、その中で本社の御祭神である味耜高彦根(あじすきたかひこね)神・下照比売(したてるひめ)神・天稚彦(あめわかひこ)、さらに下鴨社の事代主(ことしろぬし)神が、国造りの大業に参劃されているという。
御所市内に「かも」と名のつく地名は多く、北は鴨都波神社のある旧御所町から南は鴨神の集落までの広い範囲に分布している。
弥生中期、鴨族の一部はこの丘陵から大和平野の西南端今の御所市に移り、葛城川の岸辺に鴨都波神社をまつって水稲生活をはじめた。
また東持田の地に移った一派も葛木御歳神社を中心に、同じく水稲耕作に入った。
そのため一般に本社を上鴨社、御歳神社を中鴨社、鴨都波神社を下鴨社と呼ぶようになったが、当地は鴨氏一族の発祥の地であり、その氏神として祀られたものである。
このほか鴨の一族はひろく全国に分布し、その地で鴨族の神を祀った。賀茂(加茂・賀毛)を郡名にするものが安芸・播磨・美濃・三河・佐渡の国にみられ、郷村名にいたっては数十におよぶ。中でも京都の賀茂大社は有名で、本社はそれら賀茂社の総社にあたる。
本殿は室町時代の三間社流造りで、国の重要文化財に指定されている。
祭神は天孫降臨神話の国譲りに登場する神で、大己貴命(大国主命)の子で迦毛大御神とも称され、「葛木の鴨の神奈備」に座し、皇孫の守護をした神。
また、ここは日本サクラ草の名所で、その種類の多さには定評がある。4月から5月にかけて見ごろで二千鉢以上の花が咲き誇る。
『日本書紀』によると、八咫烏(やたがらす)が、神武天皇を熊野から大和へ道案内したことが記されている。そして神武・綏靖・安寧の三帝は鴨族の主長の娘を后とされ、葛城山麓に葛城王朝の基礎をつくられた。
この王朝は大和・河内・紀伊・山城・丹波・吉備の諸国を支配するまでに発展したが、わずか九代で終わり、三輪山麓に発祥した崇神天皇にはじまる大和朝廷によって滅亡した。
こうした建国の歴史にまつわる由緒ある土地のため、鴨族の神々の御活躍は神話の中で大きく物語られている。
高天原から皇室の御祖先である瓊々杵(ににぎ)尊がこの国土に降臨される天孫降臨の説話は、日本神話のピークであるが、その中で本社の御祭神である味耜高彦根(あじすきたかひこね)神・下照比売(したてるひめ)神・天稚彦(あめわかひこ)、さらに下鴨社の事代主(ことしろぬし)神が、国造りの大業に参劃されているという。
私は忘れそうなことを,ここに書き残すことにしています!