先日、友人と話していると俳句の話題になった。
奈良・大和で俳句と云えば「阿波野青畝」。
我が高校(旧制中学)の先輩と聞いている。
高校の国語の授業やったかで、「4S」というのを勉強した。
そのとき、そう聞いた記憶がある。
私の記憶に残っているのは「4S」という単語だけ。
この秋のはじめ、高取・土佐街道を歩いていたら「阿波野青畝」に出会った。
彼はこの高取の出身やったんや。
長らく奈良で生活していても、初めて聞くことがまだまだあるなぁ~
私も一句つくってみようかなぁ~
@阿波野青畝
明治32年2月、俳人阿波野青畝は奈良県高市郡高取町大字上子島に生まれた。
少年期から耳が遠く、中学から上の学校への進学を断念せざるを得ない絶望から、「万葉集」をはじめ、読書にふける毎日を過ごした。これがのちの俳句創作に拍車をかけることになったという。
山口青邨の講演中の言葉から、水原秋桜子、山口誓子、高野素十と並んで「4S」と称されるようになった。
高野素十も昭和9年から35年まで奈良県立医科大学の法医学教授を務め、一時期高取町に住んでいた。
「写真;高取町・土佐街道で見かけた阿波野青畝の句碑」
奈良・大和で俳句と云えば「阿波野青畝」。
我が高校(旧制中学)の先輩と聞いている。
高校の国語の授業やったかで、「4S」というのを勉強した。
そのとき、そう聞いた記憶がある。
私の記憶に残っているのは「4S」という単語だけ。
この秋のはじめ、高取・土佐街道を歩いていたら「阿波野青畝」に出会った。
彼はこの高取の出身やったんや。
長らく奈良で生活していても、初めて聞くことがまだまだあるなぁ~
私も一句つくってみようかなぁ~
@阿波野青畝
明治32年2月、俳人阿波野青畝は奈良県高市郡高取町大字上子島に生まれた。
少年期から耳が遠く、中学から上の学校への進学を断念せざるを得ない絶望から、「万葉集」をはじめ、読書にふける毎日を過ごした。これがのちの俳句創作に拍車をかけることになったという。
山口青邨の講演中の言葉から、水原秋桜子、山口誓子、高野素十と並んで「4S」と称されるようになった。
高野素十も昭和9年から35年まで奈良県立医科大学の法医学教授を務め、一時期高取町に住んでいた。
「写真;高取町・土佐街道で見かけた阿波野青畝の句碑」
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