大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

慈尊院の乳房型絵馬

2010年05月10日 | 和歌山県
あの日,真田庵周辺を散策したあと,自宅でプリントアウトした地図を持って約3時間のハイキングコースを歩き出した。
次に目指したのは,世界遺産「慈尊院」。
九度山の商店街?の町並みが切れるところが丹生川。
またまた「丹生」との出会いやんか!
川には鯉のぼりが泳いでいた。
全国各地でよくある光景?
河原には車がたくさん停まっている。
きっとGWで,水遊びとバーベキューでも始めるんやろか?
この丹生川は,目の前で大きな「紀ノ川」と合流する。
この「紀ノ川」,和歌山県では「紀ノ川」と呼ばれているが,上流の奈良県内では「吉野川」と呼ばれている。
私には「吉野川」の方に馴染みが・・・
川を横に眺めながら「慈尊院」へと歩いた。
「慈尊院」では,塔?の修理中???
その「慈尊院」の境内で見た有吉佐和子『紀の川』の解説板。
勉強不足で,私にはその内容が???
暫しの間,その解説板の前に立って読んでいた。
また課題図書が1冊増えたなぁ~
※慈尊院
千百六十有余年前、弘法大師が高野山開創の時に、高野山参詣の要所に当るこの地に、表玄関として、伽藍を草創し、高野山一山の庶務を司る政所を置き高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場所とされた。
大師の御母公が,香川県善通寺より高野山上へ大師を尋ねようとされたが、大師は、自ら七里四方を女人禁制としておられたので、山麓の当院へ迎えられた。
大師は、月に九度は必ず高野山上より二〇数キロの山道を下って、母公を尋ねられたので地名を「九度山」と称すそうだ。
ご母公がご本尊弥勒菩薩を尊崇せられた功徳により、入寂の砌、ご本尊様に化身さられたと言う信仰となり女人の高野参りは、当院までということも相俟って、子宝安産、育児、授乳等を願い、「乳房型絵馬」を奉納して祈願した。
「写真;慈尊院にあった乳房型絵馬」

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