大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

野村一里塚

2011年06月26日 | 三重県
愛車の走行距離が2万kmを迎えるときに行きたかったのが「野村一里塚」。
この一里塚の存在を知ったのは、昨夏、三重県亀山市に残る宿場町「関宿」を訪ねたとき。
「野村一里塚」は、「関宿」のひとつ東隣りの亀山宿のはずれにあるという。
そう言えば・・・愛読書「マップル 三重」にも載ってたよなぁ~
たしか表紙の大木がそうやった・・・
今年1月の家族旅行、三重県亀山・「味噌焼きうどん」を食べた亀八食堂で、その一里塚の場所を聞いたんやけど、「知らん」と云われた。
今回、行って分かったこと。
「マップル 三重」表紙の木は違う木やったってこと。

すべて私が勝手に思い込んでただけやった・・・
せやけど、ホンマニ立派な「一里塚」やった。
私と愛車の一区切り、「一里塚」や!
またこれからも、次の「一里塚」に向かって頑張るで!

@野村一里塚
一里塚は1604年、徳川秀忠が江戸日本橋を基点とし、東海道に沿って一里ごとに設けさせた里程標で、五間四方(9m)の大きさで塚を築き、その上に多くはエノキ、マツ等の樹木が植えられていた。
亀山市にある 野村一里塚は、東海道の一里塚の一部として築造されたもので、もとは街道をはさんて南北に塚があったそうだが、南側の塚は大正3年に取り去られ、北側の塚のみが原型に近い姿で残されている。この塚の上には、樹高20m、目通り幹周5.0mと記される大きなムクノキが立っている。

三重県における旧東海道は、桑名宿から坂ノ下宿の間に12ヶ所の一里塚が設置されていましたが、原型を残したままで今に残るのはこの一里塚だけで、わが国交通史上の貴重な遺跡として、国の史跡指定を受けている。
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4 コメント

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Unknown (kazuyoo60)
2011-06-26 13:19:19
立派なムクノキですね。一里塚って、目印にするには良い距離です。今だって1里も歩いたらですもの。1時間以上歩いたら次の日は休んでしまいます。(苦笑)
中国では1里=500m、なぜ日本は約4kmになったのでしょうね。8倍ですもの。
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ヒエーー; (miwako)
2011-06-27 13:04:07
何でも物知りの仙人様、こんにちは^0^
昨日展覧会終了しました。
額縁電車で持って帰るのくたびれましたよ。
額だけ??~イイエ絵も入ってますが、ナンセ額だけの値打ちナモンデ・・・
一里塚って、冥土のたびの一里塚としか存じませんでした。
25日は、近場の子らと宴会でした、ワイン・ビール・間っ子利・焼酎・日本酒。
ビールは、[ビールのドンペリ」と謳ったので乾杯でした。1本880円の割には不評!
スーパーボックの壜がヒットでした。
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Unknown (瓜亀仙人)
2011-06-27 17:23:11
kazuyoo60さんへ
>中国では1里=500m、なぜ日本は約4kmになったのでしょうね。
興味あることですね!
日本まで伝わる間に間延びした???
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Unknown (瓜亀仙人)
2011-06-27 17:24:48
miwakoさんへ
>額縁電車で持って帰るのくたびれましたよ。
折りたたむことが出来ないから大変やったでしょう!
でも、それこそが「画家」なんですよねぇ~
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