大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

討ち入りの翌朝・大石神社

2011年12月15日 | 日々の暮らし
昨日のTVは“討ち入り”“忠臣蔵”が多かった。
それらの番組を見て気が付いた。
12月14日は,赤穂浪士“討ち入りの日”やったんや!
たしか・・・私のデジカメSDカードの中に・・・
今夏の岡山への旅の帰路に立ち寄った赤穂“大石神社”の写真が残っているはず・・・
あれからもう半年が過ぎたんやなぁ~
この年末,私も一暴れしてみようかなぁ~

@歴史秘話ヒストリア「ああ、討ち入りさえなかったら…~3つの“裏”忠臣蔵~」
吉良上野介は立派なお殿様?将軍綱吉にとって、討ち入りは悩みの種?そして内蔵助の妻・りくのその後は?英雄伝説の影に隠れた知られざる3つの「忠臣蔵」を紹介!

江戸時代から、多くの日本人に親しまれてきた「忠臣蔵」。しかしこの武勇伝、討ち入りを果たした四十七士以外の目線から見ると、まったく違った光景が現れる。悪役・吉良上野介は、実は領民思いの優しいお殿様。時の将軍・徳川綱吉にとっては、政治生命を揺るがす大事件。そして大石内蔵助の妻・りくが見つめた“その後の忠臣蔵”。江戸時代最大の伝説・忠臣蔵は、人の数だけ物語あり! 知られざる3つの「忠臣蔵」をご覧あれ。

エピソード1 真面目に仕事したのに・・・ 吉良上野介
幼い頃から父親に厳しく鍛えられ、「礼儀作法の達人」として大名たちを指導していた吉良上野介。ところが江戸城内で浅野内匠頭に斬りつけられたことから運命が暗転。世間からは嫌われ、幕府の態度も吉良家に冷たくなります。上野介は跡取り息子に吉良家の将来を託そうとするのですが…。

エピソード2 立派な将軍になりたかったのに・・・ 徳川綱吉
時の将軍・徳川綱吉。忠孝を重んじる「儒教」と命を大切にする「生類憐みの令」を二枚看板に、日本を文化的国家にすべく綱吉が改革を進めていた矢先に起きたのが赤穂四十七士の討ち入り事件。四十七士は忠孝の手本なのか、それとも罰すべき者たちなのか?その裁きは綱吉の政治生命をも揺るがすことに!?

エピソード3 義士の妻として強く生きる 大石理玖(りく)
大石内蔵助の妻・理玖は平凡ですが幸せな生活を送っていました。ところが主君・浅野内匠頭の刃傷事件が起き、波乱の後半生が始まります。討ち入りを決意した夫から離縁され、さらに、子供たちまで罪にとわれ、追及の手が迫ることに・・・。
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4 コメント

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どうも忠臣蔵は?? (山口ももり)
2011-12-15 10:35:03
毎日新聞にも、ずーっと、48人目の忠臣の女性の小説が連載されてましたね。新聞小説は大概は読むんですけどこれは何故かパス。どうも忠臣蔵ってのは私向きではないようです。ここだけの話、12月14日、忠臣蔵の陣太鼓に合わせて、相棒が討ち入りしたのが次男。8月24日生まれです。でもねえ・・・優しい気の弱い男で・・・・ハッハッハ・・・ここだけの話・・・
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Unknown (kazuyoo60)
2011-12-15 11:24:44
あの時代には、やむを得ない行動だったのでしょうね。私も番組を見ていました。
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Unknown (瓜亀仙人)
2011-12-15 16:54:15
ももりさんへ
そうやったんですか~
ももりさん家の忠臣蔵,
どこの家にもそれぞれの討ち入りがあるんですよねぇ~
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Unknown (瓜亀仙人)
2011-12-15 16:57:59
kazuyoo60さんへ
同じ番組を見ていたんですね!
当の本人さんたちは大変やったんでしょうね。
突然,勤め先は無くなるし,
武士道を通さんとあかんし・・・
生きるのに難しい時代やったんでしょう。
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