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2番札所から3番札所へは,昼食弁当を食べながらのバス移動。
私は食べ終えたけど,バスに戻って来るのが遅かった人や食べるのが遅くて途中の人がいた。
その人たちを待つために,バスは山門前の駐車場で食事が終わるまでの時間待ち。
その間に,先達さんから「金泉寺」の説明があった。
「天平年間(729~749)に、聖武天皇の勅願により、行基が本尊を刻み開基された。当時は、金泉明寺と号されていたという。
その後、弘法大師が四国霊場巡錫中に来錫し、水不足 に悩む地元の人々のために井戸を掘ると霊水が湧き出たため、感得した大師は 堂宇を建立し金泉寺と改めた。
皇室との縁が深く、南北朝時代には南朝の長慶天皇(1343~1394)が晩年をこの寺で過ごし,天皇の御陵が境内に祀られている。
その昔、屋島は壇の浦に向かう義経が、この寺に立ち寄り戦勝を祈願し、その時、弁慶が持ち上げたといわれる力石がある。」etc・・・
私は先達さんの話をしっかり聞いてたはずやったんやけど・・・
本堂の横で,先にお参りを終えた私に先達さんが,
「このお堂の彫刻,見といたらええですよ~」と,声をかけてくれた。
その後,少し会話があって私が,
「あの水道の水,みなさんが汲んでおられるようなんですが・・・」と言いかけて,
先達さんの顔が変化したので,バスの車中で先達さんが「弘法大師の霊水」のことを説明していたのを思い出した。
まさか???
普通の水道の蛇口に繋がれたホースの先から「弘法大師の霊水」が出ていたなんて・・・
もっと御利益ありがたいようにしといてよ!
四国は,やっぱりワンダーランドやなぁ~~
※黄金の井戸
観音堂の右手に小さなお堂があり,黄金の井戸と地蔵尊が祀られている。寺名の由来となった井戸は今もこんこんと湧き出している。この井戸をのぞき、影がはっきり映れば長寿、ぼやけていると短命という言い伝えがある。
※弁慶の力石
文治2年(1185)壇の浦の戦い。平家を打ち落とそうと屋島壇の浦へ向っていった源義経の一行が、戦勝祈願のためこの寺に立ち寄った。その時、弁慶が持ち上げた石が「弁慶の力石」と呼ばれ今も残されている。大事な一戦を控えた義経が、弁慶の人並み外れた力を自軍の兵に示し、士気を鼓舞したという。
「写真;金泉寺」
私は食べ終えたけど,バスに戻って来るのが遅かった人や食べるのが遅くて途中の人がいた。
その人たちを待つために,バスは山門前の駐車場で食事が終わるまでの時間待ち。
その間に,先達さんから「金泉寺」の説明があった。
「天平年間(729~749)に、聖武天皇の勅願により、行基が本尊を刻み開基された。当時は、金泉明寺と号されていたという。
その後、弘法大師が四国霊場巡錫中に来錫し、水不足 に悩む地元の人々のために井戸を掘ると霊水が湧き出たため、感得した大師は 堂宇を建立し金泉寺と改めた。
皇室との縁が深く、南北朝時代には南朝の長慶天皇(1343~1394)が晩年をこの寺で過ごし,天皇の御陵が境内に祀られている。
その昔、屋島は壇の浦に向かう義経が、この寺に立ち寄り戦勝を祈願し、その時、弁慶が持ち上げたといわれる力石がある。」etc・・・
私は先達さんの話をしっかり聞いてたはずやったんやけど・・・
本堂の横で,先にお参りを終えた私に先達さんが,
「このお堂の彫刻,見といたらええですよ~」と,声をかけてくれた。
その後,少し会話があって私が,
「あの水道の水,みなさんが汲んでおられるようなんですが・・・」と言いかけて,
先達さんの顔が変化したので,バスの車中で先達さんが「弘法大師の霊水」のことを説明していたのを思い出した。
まさか???
普通の水道の蛇口に繋がれたホースの先から「弘法大師の霊水」が出ていたなんて・・・
もっと御利益ありがたいようにしといてよ!
四国は,やっぱりワンダーランドやなぁ~~
※黄金の井戸
観音堂の右手に小さなお堂があり,黄金の井戸と地蔵尊が祀られている。寺名の由来となった井戸は今もこんこんと湧き出している。この井戸をのぞき、影がはっきり映れば長寿、ぼやけていると短命という言い伝えがある。
※弁慶の力石
文治2年(1185)壇の浦の戦い。平家を打ち落とそうと屋島壇の浦へ向っていった源義経の一行が、戦勝祈願のためこの寺に立ち寄った。その時、弁慶が持ち上げた石が「弁慶の力石」と呼ばれ今も残されている。大事な一戦を控えた義経が、弁慶の人並み外れた力を自軍の兵に示し、士気を鼓舞したという。
「写真;金泉寺」
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