大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

丹生川上神社上社

2007年09月15日 | 奥吉野(天川・川上)
国道169号を大滝ダムを過ぎ、“丹生川上神社上社”へ向かった。
丹生川上神社は私のブログに何度か登場している。
“桜鮎”を食べに行ったお店の近くにあったのが、丹生川上神社中社。
“レインボーガーネット探し”の途中に立ち寄ったのは丹生川上神社下社だった。
“丹生川上神社上社”は平成10年3月までは吉野川の河畔に樹木を茂らせた場所に鎮座していた。しかし、“大滝ダム”の建設に伴い神社が水没することになり、山の中腹である現在の地に遷座(移転)したのだ。
遷座に伴い、旧境内の発掘調査が行われた結果、旧本殿の下から11世紀末以前に遡る石敷き祭壇が出土したようで、最古の神社関連遺構とされている。また、旧境内付近で、約四千年前の縄文時代の祭祀跡とみられる遺跡が発掘されたそうである。
有名な神社が遷座することは、全国的にも珍しいことだという。
この神社の歴史は、 神武天皇の東征に際し、天皇の夢の中に天神が出現し、天香山の土を取って天平瓮八○枚、厳瓮を作り天神地祇を祀れば賊は平らぐという。天皇は丹生の川上にて誓をしたところ神意にかなっていたので、「丹生川上之五百箇直坂樹」で天神地祇を祀ったところ、賊の平定が容易に行われたという(『神武天皇即位前記』)。
拝殿前には通常神社で見ることのできる狛犬はなく、代わりに馬の像が置かれていた。これは、かつて奉幣に際し、祈雨の場合には黒馬を、止雨の場合には白馬を奉るのを常としていたことに因んでいるものと推測されてる。
現在では、祈願に際し、絵馬を奉納する風習が全国的に普及しているが、これは生馬の奉納を簡略化したもので、その起源はここにあると考えられているそうだ。
昔、奥吉野への山行のバスの車中から安全を拝んだあの神社がないのは、寂しいものである。









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