10月初め,京都府笠置寺にある日本最大級の磨崖仏をデジタル画復元したというニュースが流れた。
【京都府笠置町の笠置寺の本尊・弥勒磨崖仏が高精細のデジタル画像で復元され、1日、報道陣に公開された。傷みが激しい国内最大級の磨崖仏の優しい姿がよみがえり、寺は今秋以降に画像を一般公開する予定。「実物の復元にもつなげたい」としている。
磨崖仏は高さ約15メートル、最大幅は約12メートル。奈良時代の作とみられ、花こう岩に線で彫られた。元弘の変(1331年)の戦火などで、現在では頭頂部など一部を除き、ほとんど姿が消えてしまっている。】
笠置寺は,昨冬訪ねたよなぁ~
懐かしい・・・
そして今回,松茸弁当を買いに右折するかどうか悩んだ室生口大野の交差点の近くにあるのが大野寺。
このお寺にも川岸に弥勒磨崖仏がある。
笠置寺のデジタル画像の磨崖仏と大野寺の弥勒磨崖仏が,よく似てるって思ってたけど・・・
調べてよく分かった!
【大野弥勒磨崖仏(像高11.5m)は、興福寺の僧・雅縁の発願により、承元元年(1207年)から制作が開始され、同3年に後鳥羽上皇臨席のもと開眼供養が行われたものである。
作者は宋から来日した石工・伊行末(いぎょうまつ/いのゆきすえ)の一派と考えられている。山城国笠置山にあった弥勒の大石仏(現在は光背のみが残る)を模したものである。】
そりゃぁ~ よう似てたはずや!
@大野寺
寺伝よると、681年(白鳳9年)に役行者が開き、824年(天長元年)空海が室生寺を再興する時、この地を西の大門と定め一宇を建て、弥勒菩薩を安置、「慈尊院弥勒寺」と称したと伝える。
鎌倉初期の1207年(承元元年)奈良興福寺の雅緑僧正の発願で、後鳥羽上皇に奏上し、上皇の勅願により、宇陀川の対岸の 屹立する弥勒磨崖仏の造顕がなされた。1209年(承元3年)後鳥羽上皇が行幸、願文を石像体内に納め、石仏開眼法要が営まれている。この時の随行は 公卿、殿上人、女房たち60余人であったと記録に残る。
【京都府笠置町の笠置寺の本尊・弥勒磨崖仏が高精細のデジタル画像で復元され、1日、報道陣に公開された。傷みが激しい国内最大級の磨崖仏の優しい姿がよみがえり、寺は今秋以降に画像を一般公開する予定。「実物の復元にもつなげたい」としている。
磨崖仏は高さ約15メートル、最大幅は約12メートル。奈良時代の作とみられ、花こう岩に線で彫られた。元弘の変(1331年)の戦火などで、現在では頭頂部など一部を除き、ほとんど姿が消えてしまっている。】
笠置寺は,昨冬訪ねたよなぁ~
懐かしい・・・
そして今回,松茸弁当を買いに右折するかどうか悩んだ室生口大野の交差点の近くにあるのが大野寺。
このお寺にも川岸に弥勒磨崖仏がある。
笠置寺のデジタル画像の磨崖仏と大野寺の弥勒磨崖仏が,よく似てるって思ってたけど・・・
調べてよく分かった!
【大野弥勒磨崖仏(像高11.5m)は、興福寺の僧・雅縁の発願により、承元元年(1207年)から制作が開始され、同3年に後鳥羽上皇臨席のもと開眼供養が行われたものである。
作者は宋から来日した石工・伊行末(いぎょうまつ/いのゆきすえ)の一派と考えられている。山城国笠置山にあった弥勒の大石仏(現在は光背のみが残る)を模したものである。】
そりゃぁ~ よう似てたはずや!
@大野寺
寺伝よると、681年(白鳳9年)に役行者が開き、824年(天長元年)空海が室生寺を再興する時、この地を西の大門と定め一宇を建て、弥勒菩薩を安置、「慈尊院弥勒寺」と称したと伝える。
鎌倉初期の1207年(承元元年)奈良興福寺の雅緑僧正の発願で、後鳥羽上皇に奏上し、上皇の勅願により、宇陀川の対岸の 屹立する弥勒磨崖仏の造顕がなされた。1209年(承元3年)後鳥羽上皇が行幸、願文を石像体内に納め、石仏開眼法要が営まれている。この時の随行は 公卿、殿上人、女房たち60余人であったと記録に残る。
大野寺の磨崖仏は川を挟んでですが数回拝見しています。
大きな石に1発勝負でしょう。足場はどうされたのかな、ほんとに凄いことですよね。1人の方が彫られたのかな?、想像です。
笠置寺のニュースを見て,先日の室生・大野寺。
感動しました!
そっくりな訳が分かったからです。
ホンマニ,笠置は不思議なところです~
笠置と室生は離れていると思っていたのに,
こんな形で繋がっていたとは,
思いも寄らないことでした!
秋の大和路もいいなぁ…
秋にうろうろ出来るのはええですねぇ~
農家は辛いです・・・
秋は秋でも,「忙しい」を意味する「アキ」ですから・・・
近鉄室生口大野駅から大野寺は近いです。
室生寺までは,歩くとかなりあります。
松茸弁当屋は遠いですよ!
>仏様の頭だけ見えて「松ぼっくり?」
先日のtv「日本沈没」で奈良は奈良の大仏が水に沈んでいました。
あれも「松ぼっくり?」。
「松ぼっくり」と言えば,イタリア・バチカンの美術館の中庭に大きな「松ぼっくり」のオブジェありませんでしたか?
奈良・大和路は,やっぱり秋がいいですよ!
この松茸弁当屋さんの川の対岸には,
「三太夫」という百地三太夫(戦国時代の伊賀忍術の祖とされる忍者)の屋敷を移築した料理店があります。
機会あれば是非・・・