赤砂利交差点から北へ入ってすぐのところに、松山地区まちづくりセンター「千軒舎」がある。
台格子・虫籠窓・煙出しを備えた伝統的な町家で、一般の住宅と間違えられることもあるという。
以前、薬屋・歯科医院として使われていた建物を改修して、平成15年10月にオープンした施設。
施設の愛称は、かつて松山町が「宇陀千軒」と呼ばれるほどの賑わいを見せていたことから、現代の「宇陀千軒」を実現したいとの気持ちを込めて「千軒舎」と名づけられた。
@旧内藤家住宅について
旧内藤家住宅は、切妻平入・つし2階・桟瓦葺き(煙出し付)の間口5間の町家である。煙出しがつく登り梁構造であることや伝承から、明治前期に建てられたと推測されている。
建物の改変は少なくとも4回は行われ、大きなものでは、正面のスリアゲ戸から格子戸への改変、歯科医院の増築、2階および座敷まわりの改変、台格子の復原他。木材の痕跡は極力残してあるので、柱の足元など注意してご覧下さい。
内藤家の前は成田氏がこの建物で雑貨を商い、ツシで養蚕をしていたと近所の古老が話していたが、80年ほど前に南隣の大字からこの建物に転入した内藤家は、現当主の曽祖父が御殿医、祖父が薬屋、父と現当主が歯科医をしていたとのこと。
建物は平成12年12月21日に大宇陀町(当時)に寄付され、平成15年に半解体修理を行ったあとまちづくりセンターとして開館し、現在に至っている。
台格子・虫籠窓・煙出しを備えた伝統的な町家で、一般の住宅と間違えられることもあるという。
以前、薬屋・歯科医院として使われていた建物を改修して、平成15年10月にオープンした施設。
施設の愛称は、かつて松山町が「宇陀千軒」と呼ばれるほどの賑わいを見せていたことから、現代の「宇陀千軒」を実現したいとの気持ちを込めて「千軒舎」と名づけられた。
@旧内藤家住宅について
旧内藤家住宅は、切妻平入・つし2階・桟瓦葺き(煙出し付)の間口5間の町家である。煙出しがつく登り梁構造であることや伝承から、明治前期に建てられたと推測されている。
建物の改変は少なくとも4回は行われ、大きなものでは、正面のスリアゲ戸から格子戸への改変、歯科医院の増築、2階および座敷まわりの改変、台格子の復原他。木材の痕跡は極力残してあるので、柱の足元など注意してご覧下さい。
内藤家の前は成田氏がこの建物で雑貨を商い、ツシで養蚕をしていたと近所の古老が話していたが、80年ほど前に南隣の大字からこの建物に転入した内藤家は、現当主の曽祖父が御殿医、祖父が薬屋、父と現当主が歯科医をしていたとのこと。
建物は平成12年12月21日に大宇陀町(当時)に寄付され、平成15年に半解体修理を行ったあとまちづくりセンターとして開館し、現在に至っている。