今朝からは,突然の訃報に驚いた。
同僚の母の死。
いろいろお世話になった方。
先日訪ねた馬見丘陵にある「巣山古墳」で,数年前に「喪船(もふね)」が発掘されたことを思い出した。
馬見丘陵はN盆地の西部,以前にこのブログで紹介した「竹取公園」がある。
その隣、道路をはさみ東側に馬見古墳群で最大の「巣山古墳」(全長約220m,後円部径約130m,高さ約19m)がある。
数年前の新聞に,下記のような記事が載っていたのだ。
【 喪船の部材新たに 奈良・巣山古墳で出土
死者の木棺を運ぶ「喪船」とみられる舟形の木製品が見つかった奈良県広陵町の巣山古墳(特別史跡,4世紀末 ~5世紀初め)で,周濠の底から新たに木製品十五点が見つかり,同町教育委員会が二十五日,発表した。一部は同じ舟形木製品の部材だった可能性が高く,喪船の全体像や当時の埋葬儀礼を考える貴重な資料になりそうだ。
同古墳は全長二百二十㍍の大王墓にも匹敵する大型前方後円墳。新たな木製品は,周濠の前方部北東隅の調査で出土。このうち,喪船の部材とみられるのは二点。一点は,別の部材をつなぐためのほぞ穴がある板(長さ2.8㍍,幅20㌢)で屋形の部材,もう一点は端が反った板(長さ95㌢,幅20㌢)で緩やかなカーブを描いており,側板とみられるという。
十五点の中には,丸木を半分に割って内部をくりぬいた巨大な木樋(もくひ)形の木製品(長さ5.2㍍,幅35㌢)も あった。喪船の部材だったかどうかを含め,用途は不明という。
周辺からはこれまでに,幾何学模様を刻んだ木棺のふたや舟形木製品などが見つかっている。中国の史書「隋書倭国伝」は,古代日本の葬送の様子を「遺体を船上に置き,陸地を引いた」と記述。すぐに埋葬せず,数年間遺体を安置しておく「殯(もがり)」の後,遺体を喪船に載せて古墳まで運んだらしい。】
古墳の造られた当時,この地域で勢力を誇っていたのは葛城氏?
陸を進む「喪船」・・・
この古墳には,「壕に大蛇が棲み、墳丘の木を切ると青い血が出る」と伝えられているという。
「写真;巣山古墳と竹取公園」
同僚の母の死。
いろいろお世話になった方。
先日訪ねた馬見丘陵にある「巣山古墳」で,数年前に「喪船(もふね)」が発掘されたことを思い出した。
馬見丘陵はN盆地の西部,以前にこのブログで紹介した「竹取公園」がある。
その隣、道路をはさみ東側に馬見古墳群で最大の「巣山古墳」(全長約220m,後円部径約130m,高さ約19m)がある。
数年前の新聞に,下記のような記事が載っていたのだ。
【 喪船の部材新たに 奈良・巣山古墳で出土
死者の木棺を運ぶ「喪船」とみられる舟形の木製品が見つかった奈良県広陵町の巣山古墳(特別史跡,4世紀末 ~5世紀初め)で,周濠の底から新たに木製品十五点が見つかり,同町教育委員会が二十五日,発表した。一部は同じ舟形木製品の部材だった可能性が高く,喪船の全体像や当時の埋葬儀礼を考える貴重な資料になりそうだ。
同古墳は全長二百二十㍍の大王墓にも匹敵する大型前方後円墳。新たな木製品は,周濠の前方部北東隅の調査で出土。このうち,喪船の部材とみられるのは二点。一点は,別の部材をつなぐためのほぞ穴がある板(長さ2.8㍍,幅20㌢)で屋形の部材,もう一点は端が反った板(長さ95㌢,幅20㌢)で緩やかなカーブを描いており,側板とみられるという。
十五点の中には,丸木を半分に割って内部をくりぬいた巨大な木樋(もくひ)形の木製品(長さ5.2㍍,幅35㌢)も あった。喪船の部材だったかどうかを含め,用途は不明という。
周辺からはこれまでに,幾何学模様を刻んだ木棺のふたや舟形木製品などが見つかっている。中国の史書「隋書倭国伝」は,古代日本の葬送の様子を「遺体を船上に置き,陸地を引いた」と記述。すぐに埋葬せず,数年間遺体を安置しておく「殯(もがり)」の後,遺体を喪船に載せて古墳まで運んだらしい。】
古墳の造られた当時,この地域で勢力を誇っていたのは葛城氏?
陸を進む「喪船」・・・
この古墳には,「壕に大蛇が棲み、墳丘の木を切ると青い血が出る」と伝えられているという。
「写真;巣山古墳と竹取公園」
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