大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

大和三山と谷三山

2012年02月14日 | 橿原市

人間ドックの日、検査が終わって時計を見たら11時15分やった。
近くの昼食を楽しみにしている寿司屋の営業開始時刻は11時30分、まだ15分ある。
昨年、大阪・富田林を訪ねたとき、幕末に吉田松陰がこの町(富田林)に滞在していたことを知った。彼はこの町に来る前後、大和の地を訪ね“谷三山”という人物と会っていたという。
“谷三山”???

“大和三山”やったら知ってるけど・・・
“谷三山”って、たしか人間ドックの病院の近く、今井町の入り口近くの建物の前で解説板と石碑を見たような記憶が・・・

@谷三山
江戸時代の後期の儒者。享和2年(1802年)生まれ。慶応3年(1867年)没。
通称 新助、のちに昌平と改める。三山は号、別号は、淡庵、淡斎、釈斎。
八木村(現在の八木町)の米屋などを営んだ商家倉橋屋に生まれましたが、幼い頃目と耳を患い、聴力を失いました。ある時、兄の厚亭から小説の無稽を揶揄され、発奮して三山は、独学で正史経学に励み、兄とともに京都に遊学し、猪飼敬所(いかい けいしょ)に学びました。
その後、私塾「興譲館」を開き多くの師弟を指導していましたが、これが高取藩に認められ士籍を与えられ藩儒となり、教学を広め、尊王攘夷を説きました。
三山の卓越した学識を認めた頼山陽(らいさんよう)や吉田松陰など幕末の知識人とも親交があったということです。
コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 菜の花忌に田起こし | トップ | 今井町で酒ケーキ »
最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (瓜亀仙人)
2012-02-15 18:15:19
ももりさんへ
富田林に縁がおありなんですね。
私は富田林と聞くと、PLの花火をイメージしてしまいます。
返信する
三谷治山 (山口ももり)
2012-02-15 10:07:39
大阪・富田林・・・ですか。去年始めて富田林に行きました。ニ上山がすぐ近くに見えて驚きました。ゆっくり歩いてみたいです。ところで、私の書の師匠「三谷治山」と云う名前でした。そっりゃあ気むづかしい人でねえ。でもなつかしい!!!なくなられて、さあ・・・20年にもなるでしょうか。一瞬、先生のことかとおもいました。
返信する
Unknown (瓜亀仙人)
2012-02-14 19:05:43
nyar-nyarさんへ
そうなんですか~
谷三山さんが授業で登場してはったんですか~
ホンマニ立派な方やったんですねぇ~
1000円分の食事券をもらって食べた1150円の寿司の写真はコレです↓
http://blog.goo.ne.jp/e411y/e/1611e6867bf5eec9eb998d2e08f0d509
返信する
Unknown (nyar-nyar)
2012-02-14 15:13:24
あ~言い忘れ!!
ドックのあとのご褒美がお寿司なんですね、美味しかったでしょう
返信する
Unknown (nyar-nyar)
2012-02-14 15:11:13
無学な私は古典的なことは何もわかりませんが、
谷三山の名前は見たことある!ってか聞いたことあるって言うか・・・そんな程度でした。
えらい学者さんだったのですね。
高校の古文の先生(担任)が時々授業を脱線して話してくれたのを思い出しました。
返信する

コメントを投稿

橿原市」カテゴリの最新記事