今年もいろいろ旅したけど、ブログへのアップが途中で止まっているのが、GWの愛知県明治村への旅。入園して帝国ホテル本館を見学。この建物、今再放送してる朝ドラ『まんぷく』に映っていた!?その後、園内をぶらぶら。もう建物の名前は忘れてしもた・・・多分謎解きの関係で、正門に向かって歩いた。明治時代の工場!工場に入った。勿論、明治時代の機械。歴史を感じる!何やらカッコ良かったのを覚えている。 . . . 本文を読む
先日のこと、「オーベルジュ・ド・ぷれざんす桜井」で会食。やっと予約がとれた!宇陀金牛蒡と人参鱧蕪ゆうべし奈良のシャインマスカットと淡路島から来た鯖飛鳥鍋地元のワイン!大和牛燻製大和肉鶏 三輪素麺奈良の色々な柿を食べ比べ温かい栗のビスキュイ食後のお飲み物と小さなお菓子たいへん美味しゅうございました!この前行った、「なら食と農の魅力創造国際大学校」の灯りや・・・ . . . 本文を読む
先日のこと、遠方からの朋と歩いて談山神社から飛鳥へ。飛鳥坐神社を参拝した後、朋の最終目的地の入鹿首塚へと向かった。飛鳥坐神社前の道を真っ直ぐ西へ。久しぶりの歩いての飛鳥集落を散策。やっぱり散策って歩くこと???飛鳥寺の西側に到着。入鹿首塚発見!昔はこんな景色じゃ無かった!?西正面に曽我氏の館があった甘樫の丘。この道を左手へと進むと、乙巳の変があった飛鳥板蓋宮。ん・・・朋はどうしてここへ来たかったん . . . 本文を読む
先日のこと、遠方からの朋と談山神社から飛鳥へと歩いた。藤原鎌足誕生の地からすぐ西に大伴夫人の墓があった。大伴夫人って誰?大伴家持の夫人???さすが・・・私も朋も高校生の時は理系。鎌足公の誕生の地がすぐそこにあるんやから、きっと鎌足のお母さん!?それから歩いて飛鳥坐神社へ。手水は未だ感染症対策中!?確かこの神社の宮司さんの苗字は『飛鳥』さん。折口信夫(釈迢空)と親戚やったはず。私、未だ御田祭を観たこ . . . 本文を読む
先日のこと、遠方からの朋と歩いて談山神社から増賀上人念誦崛の墓を経て飛鳥へと歩いた。念誦崛の墓から桜井市北山への車道をしばらく歩くと、飛鳥方面へと下りる山道との分岐があった。飛鳥方面へと山道を歩くと石仏発見!昔、この道を歩いて談山神社へと鎌足は歩いたかも???やがて万葉の展望台。天気が良すぎて、霞んでた。盆地にあるのは畝傍山。その向こうに二上山。休憩の後、山道を飛鳥へ。動物避けの柵を開けて通過。展 . . . 本文を読む
先日のこと、遠方からの朋と談山神社を参拝した後、多武峰中興の祖増賀上人・念誦崛(ねずき)の墓へ。「ねずき」って漢字で書きたいのだけど、上手く出て来てくれない。どんな意味???途中(桜井市西口)にあった神社!確か西口は、僅か2戸の集落。念誦崛不動尊があるようなので降りて探したけど、見つけられず。昔、私の親父は、家で採れた野菜や米を京都の清水寺に運んでいた。当時の清水寺管長は、五つ子の名付け親の大西良 . . . 本文を読む
先日のこと、朋と多武峰・御破裂山を登頂した後、昼食を食べる場所を探した。紅葉が美しい!しかし、写真を撮ってもなかなか上手く写らない難しい・・・談山神社の前には六條家。立派や〜〜!その六條家の裏の高台(ガクタヤシキ)で談山神社を眺めながら昼食を食べた。でも、木が大きくなって、展望が効かない!?昼食後、廃仏毀釈から復興した妙楽寺へ。妙楽寺を復興したのは、大神神社の近くにある平等寺の御住職。その平等寺も . . . 本文を読む
先日のこと、遠方からの朋と談山神社を参拝。談山神社と言えば、やっぱり十三重塔!美しい!振り向けば拝殿への石段。十三重塔は見飽きない。何回シャッターを切ったことか。ホンマええ天気や〜〜初めての談(かたらい)山と御破裂山へ。まずはかたらい山へ。大化の改新の前、ここで中大兄皇子と鎌足、何を語ったんやろか???悪い相談???次に御破裂山へ。山頂には鎌足の墓。678年唐から帰国した鎌足の長男・定慧は、北摂・ . . . 本文を読む
先日のこと、談山神社の拝殿を拝観した後、境内を散策。拝殿の下を通り、上ってきた石段を見下ろしながら歩くと、前宮司が好きだった釈迢空。そして例年、蹴鞠祭が開催される広場。右手の建物が神廟拝所。昔、親父がよく通っていた建物。いつやったか、この建物で壁画が出たって騒いでいた。久々に鎌足公とご対面。ある年、親父が訳あって談山神社のお祭りを欠席したら、遠くから談山神社のお祭りに来た人が、折角だからと我が家ま . . . 本文を読む
先日のこと、遠方からの朋と談山神社拝殿を拝観。百味の御喰!昔、我が家も零余子を出していた。鎌足公へのご馳走。米粒に色を着けて規則正しく並べて積み上げ作る。関西の日光と呼ばれている。拝観者は、紅葉を眺めるのに夢中?鎌足公と子どもの肖像画。それに蹴鞠の鞠。縁起絵巻。朋は、入鹿の首が飛んだ跡の首の骨が気になると言う。私は、服装が平安時代やと言う。拝殿を出て外へ。鎌足の長男定慧が、病気がちの鎌足の為に唐か . . . 本文を読む
先日のこと、遠方からの朋と談山神社へと歩いた。談山神社東門が見えてきた。ここからは、車の乗り入れ禁止。昔は、ここで馬を降りていた。建物跡らしい石垣が残る。私のご先祖様は、450年前まで何処に住んでいた?本当に住んでいたかを知りたい。談山神社の『太陽の塔」摩尼輪塔が見えてきた!摩尼輪塔は、ここまで続いてきた町石の執着点。参道のお店の賑わい。談山神社に到着。ここからは有料。神社で有料は珍しい???やっ . . . 本文を読む
先日のこと、朋と談山神社を越えて飛鳥を目指して歩いた。下居(音羽観音寺への分岐)からさらに歩くと、針道への分岐がある。昔は、この分岐を左へ進み、大峠を越えて宇陀へと行ったのだそうだ。紅葉が美しい!大きな石に破不動尊が彫られている。この石、横に回ると、縦に綺麗に破れている。談山鳴動・・・天下に何かがあれば、鎌足公が・・・万葉の歌碑があるが、上手く読めない。帰宅後の宿題。近くには不動の滝。少し歩くと北 . . . 本文を読む
先日のこと、遠方からの朋と談山神社を目指して歩いた。桜井市倉橋にある崇峻天皇陵に参拝した後、御陵前の道を左折して県道へと出た。県道との合流点には、崇峻天皇陵を示す石標。江戸時代、本居宣長もこの石標を見て曲がったんやろか?現在の県道の様子。真っ直ぐ下れば桜井の街。家の前に町石(丁石)発見!桜井市上の宮に建つ談山神社石の鳥居から一町(丁)ごとに立っている。その隣りは、以前このブログに書いた下居(おりい . . . 本文を読む
先日のこと、離れて住む友人から連絡があり、一人で歩いて談山神社から飛鳥へ越えると言う。私も共に歩くことにした。写真は、桜井市倉橋にある九頭龍神社(旧多武峰村)。左向こうに見える赤い鳥居は九頭神社(旧桜井町)。つまり、ここが村境だった。この二つの神社に祀られている男女の神様の関係で、隣接する両地区の住人間で婚姻は禁じられていたと伝わる。九頭龍神社の前を流れるのが、大和川支流の寺川。なぜ「寺川」と言う . . . 本文を読む