コロナの感染再拡大により、また父母に会いにくくなる。
今のうちにと実家へ父母の顔を見に行ってきました。
ふとしたことから龍神杉の話になり写真を見せてもらう。
これは確かに龍神様の化身と言っても過言ではない。
ここんところ全国のアチコチで水害が起きている。
龍神様と言えば水神様。
我々人間がしでかしていることにお怒りなさっているのか。
ということで穢れた身を清めに龍神様をお参りに行ってまいりました。
樹齢数百年の杉並木の根が傷むということで車の乗り入れはできない。
いやいや、そもそも龍神様をお参りするのであれば
車で行こうなどというのは無礼千万・不届き千万である。
杉のかほりや清流の音を感じ俗世の穢れを洗い流しながら杉並木を歩こう。
(えっ? 皆さんは穢れていない? それは失礼しました)
始めにお断りしておくが
夜の自然写真家風 小遣い制サラリーマンには昼の写真は難しすぎる。
昼は何をどう撮っていいのか? まったくわからないので
伝わらなかったらゴメンナサイ。
また、カメラはNikonの Z ではなくFUJIFILMのXA-7である。
本部長にバレると破門されるのでニコンバカ一代は名乗っていない。
たぶん、古式ゆかしき御方の石碑なのだろうが素通り。
この苔むした感は歴史を感じさせる。
慈光寺までの道のり500mの道半ばにお目当ての龍神杉がある。
おおっ!
まさしく口を大きく開け天翔ける龍のお姿。
人が小細工をした形跡はない
龍神様の化身・・・・・。
写真を撮った後でお怒りを収めくださるようにお参りする。
(撮る前にお参りしなかったので、私もお怒りを買ったかもしれん)
杉並木を数多くのお地蔵様がお守りしている。
このお地蔵様の後ろには清流が流れ
せせらぎがサラサラと涼し気な音をたたえている。
小川の上にはもみじ・かえで類が枝を広げ緑がまぶしい。
秋には見事な紅葉が見れるに違いない。
お釈迦様の教えは、この世のあらゆるものに仏が宿るというもの。
仏様の像だけでなく、私が仏様だと思えばそれが仏様。
私はこの教えが大好きだ。
お釈迦様のこの教えを聴いて以降、例え虫であっても無益な殺生はしなくなった。
この紫陽花ひとつ。
いや葉の1枚1枚に至るまで仏さまが宿る。
杉並木にはお地蔵さまだけでなく観音様もおいでだ。
お参りというと観音様やお地蔵様に手を合わせることがお参りするということだが
私は写真を撮ることもお参りの一環だと思っている。
慈光寺の参道はとても美しい。
清流と緑。
まさに水神様が住む地である。