不整脈のトラウマに打ち勝って明るく前向きに生きる男の顛末記

明るく前向きに生きることで
不整脈とQOLをコントロールした男の生きざまを描く

医者が信用できなくなる時(信用してはいけない医者とは?)

2024-07-05 08:45:30 | 脈×神▵時▼評×


写真は難しい。
技術はもちろんだが感性がね。
咲き始めのアジサイを魅せるのか?
小さなカタツムリを魅せるのか?
構図は?
色の配分は?
撮るときちゃんと考えないとこういう失敗作になる。
カメラは人間の目ほどダイナミックレンジが広くない。
こういう暗めの被写体を明るい背景で撮ると露出がね。
このカタツムリの露出を適正(明るく)にするとアジサイは飛ぶ。
思い切ってハイキーに仕上げるのも手であるが・・・・。




最近、私が飲んでる薬の解釈で、その医師の資質が測れることがわかった。
それは糖を尿から排出する薬だ。
その薬をちゃちゃっと見れば
糖尿病患者(もしくは糖尿病予備軍)に処方されやすい薬である。
そこに患者がそれらしい体形をしていれば、十中八九「糖尿病だ!」と思い込みやすい。
現に以前はそういう薬だった。
だが、最新の医学では、それは間違ってはいないが正しい薬の理解ではない。

この記事の執筆時点では、腎臓の保護(延命)に有効だと認識されている。
腎臓というのは血中の要らないものをろ過してオシッコとして排出する臓器だ。
ろ過と一言で済ませれば大したことがないような気がするが、
要らないものを捨てるだけでなく、要るものは戻す働きをする。
これは言うより大変な作業だ。
代表的なものは糖と塩分であろう。
塩分でいえば、血圧も上げる。
高い血圧は、これまた腎臓の細い血管や繊細な機能に対してすこぶる悪い。
塩分の撮りすぎは腎臓に重い負担をかけるのだ。
で、弱ってきた腎臓の負担を減らすために糖も対象にしちゃえばいいんじゃね?
ということで、糖尿病でも糖尿病予備軍でもないが、
尿から糖を排出する、いや、正確に言えば
糖の再利用を阻害して腎臓に余計な仕事をさせない薬として飲んでるわけだ。
(内緒の話だが、もしかしたら糖質ダイエットみたいな効果もあるのかもしれん)

つい最近、会社の健康診断で診察を担当した医師は、
まず尿から糖が出ていることを問題視したが服薬している薬で納得はした。
で、「糖尿病かなんかですか?」と聞いてきたので軽く説明をした。
「へぇ~ そうですか 最近は進歩についていくのも大変なんですよね」と言っていた。
この医師が本心から言っていたのか?どうかは知らないが、
こういう姿勢の医師であれば信用できない医師ではない。

信用できない医師と言えば破壊された尻を治してくれた医師である。
この医師には感謝はしているが、この薬への対応で、この医師への信用はガタ落ち。
もう二度と世話になることはないだろう。

尻の手術前に薬手帳を見て、
「糖尿病なんだね」と言われたので、
いや糖尿病ではなくと説明を始めると
「糖尿病の人はみんなそう言うんだよ 自分は糖尿病ではないってね」
と、こちらの発言を遮って決めつけで話は終わった。
確かに尻の手術にとって重要なのは薬の組み合わせによる重篤な副作用、
アレルギーの有無などであり、その患者の実情や、代謝・内分泌系の知見は必要ではない。
だが、医師が専門外の事には無関心で
新たな知見も軽い情報としてでも受け入れる資質がないのであれば、
こちらも尻のケア以外はお世話になろうとは思わない。
かかりつけ医としては不適合であり、こちらからお断りだ。

ちなみに、この薬を処方してくれた内分泌代謝内科の医師は、
糖尿病への対応ではなく、腎臓の保護を目的として処方しますと説明してくれていた。
(結構お値段が高いのよ、大した理由もなくポンポン出されたら怒り出したくなるくらいに)
私が聞き分けの良い優良患者だからかもしれないが🤣
非常に丁寧に説明やアドバイスをしてくれる。
薬の事、これから身体に起こること(腎臓がどうなっていくかだね 主に)。
五十肩についても、痔についても、自身の経験や他の医師の話や経験談をもとに。
五十肩には魔法の注射があるらしいと言ったら、ステロイドなのでやめた方がいいとか。
この程度の会話には1分もかからない。
年に6回、この手の細かい積み重ねで主治医としての信頼感は増し自分を預ける気にさせてくれる。

医師はいろんな患者と接する。
医師が何を言ってるのか理解できないオポンツクもいるだろう。
だから、そういう雑な対応をする気持ちもわからなくもない。
だが、主治医の話をしっかり聞いて、その医師の治療方針とか、
使用している薬のメリット・デメリットなどをちゃんと理解している患者だっている。
それを十把一絡げにして自分の固定観念で決めつける。

こういう医者に命預ける気になります?
(たぶん、自分が逆の立場なら憤慨するんだよ この手の人は)

医学の進歩は凄まじい。
そのスピードは日進月歩である。
カテアブをやってくれた循環器の先生は信頼がおける。
それは場合によっては患者の方が最新の知識に触れていることを認めていたからである。
誤解しないで欲しいのは患者は無責任だ。
その知識の自分にとって都合のいい部分、都合の悪い部分を知った気になってればいい。
だが医師はそうはいかない。
何につけ責任が伴う。
だからこそ、患者のことをよく知らなければならない。
その病にどれだけ苦しみ、どう付き合ってきたのか?。
ただ嘆いていただけなのか?
ちゃんと戦ってきた人なのか?
その他の病は?
家族構成や仕事、生活習慣は?
患者がイロイロやってきた気持ちというか価値観を否定しない。
そういう先生は信頼がおける。
なぜなら、医は仁術だからである。
(と、マイルドサイコパスのクズ男である筆者が言う、どの口が言うのって感じだが)

病は気から。
患者が気持ちよく医師や薬と付き合っていければ、
薬も医術の効きも全然違うと思うんですが・・・・。

ちゃいますかね?。