日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

50年ぶりの再会

2017-04-30 07:48:57 | 日記
「ダビデはミカルに言った、『あなたの父よりも、またその全家よりも、むしろわたしを選んで、主の民イスラエルの君とせられた主の前に踊ったのだ。わたしはまた主の前に踊るであろう』。」サムエル下6:21



久し振りの京都です。京都駅は乗り換えでよく利用しますが、そのほかはめったに出かけないです。先日は幼馴染、少し年上のMさんに会いに出かけました。三条四条界隈に住んでいます。幼い時はMさんやHちゃんとはもっとも遊んだ思い出があります。



10数年前に会おうといいながらなかなか近いのに会えなかった。彼女にはお姑さんに、また家で店をやってますから、いつでもという訳にはいきません。お姑さんを送り、娘を結婚させ、ご主人が定年でお店の手伝いが出来る様になってやっとです。



三条と四条の中間で京都の中心地ではないですか!錦や大丸にも近く、よくこんな場所に嫁いだものです。



若葉がまばゆいです。三条通りで食事し、幼い日や嫁いでからの話になります。嫁ぎ先は旧家?田舎者だったので、着物等すべてお姑さんには田舎くさいので変えなさいと言われ、実家からお金を送ってもらって、気に入るものを買ったとか。昔の事です。お務めした経験のない娘を欲しかったらしいです。今では考えられないですが。自己主張が少ないからとのこと。



しかし夕食でも「お母さん、何にしましょうか?」と尋ね○○、と言われたらその様にしたらいいので半面楽だったと言う。全てハイハイと聞いていれば良かったらしい。今の子なら我慢出来ないねと。そんな時代があったのでした、、、それでも3年間お姑さの介護をやらせてもらったと彼女はいう。なかなか言えない言葉です。



彼女ならこそ我慢できた素養がありました。彼女のお母さんが姑によく仕えてられたし、彼女のおばさんが小学校の教師をしてられたのですが、やはり全面お姑さんにハイハイと。着物までそのご主人から買ってもらうのでなく、お姑さんから買ってもらったとよく言ってられました。今から考えればフーと。。。感心します。



京都へ嫁ぐというのでお琴まで習い、しかし商売が好きなご主人の勧めで、家の前が通りですから、腐らないものを売って、女手一つで40年やったとか。凄いですね。奥様で収まるのでなかった。母一人、子一人の所へ嫁ぐのは並大抵でなかったでしょう。彼女は昔の京都の女になって過ごしましたね。真似出来ません。



予想外に家へ案内してくれました。何と縦長に家が2件。前の家は店。後ろの家が住んでいる所。気使いが凄かったでしょうが、今は週に休みを多く取、どこかへ出かけるらしい。やっとこの10数年気楽にまた豊かに暮らしてるらしい。京都の町家ですが、中はシステムキッチンにしてるし、なかなかモダン。お互いにご苦労さん、といいたいです。またお互いに面影があるように年を重ねました。

上の言葉
ダビデ王は久しく奪われていた神の箱(契約の箱)をダビデの町に迎えました。彼は嬉しくて王の立場も忘れて箱の前で踊りました。今あるのは神様のただ恵みと憐れみによることを思って、恥も外聞もかなぐり捨てて主に感謝せずにいられなかったのです。私達はこれほどの感謝を主に奉げているでしょうか。(KE)